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ドラゴン武芸帳
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『ドラゴン武芸帳』に投稿された感想・評価

XXXXX
3.6
香港の闇の帝王こと、ジミー・ウォング先生幻の作品!ジミー・ウォング監督・脚本・主演!!🇭🇰🎬

盗賊と対峙する上官靈鳳(シャンカン・リンホー)と王羽(ジミー・ウォング)の戦いを描いたストーリー(雑過ぎ)

数あるジミー・ウォング作品でも、かなりお金が掛かった作品です。
『男たちの挽歌』のタクシー会社の社長役のケネス・ツァンや、『スパルタンX』でユン・ピョウの父親役のポール・チャンなどが出演!
香港映画の歴史を感じる作品でした🔥

ジミー・ウォングは、カンフースターなのにカンフーが苦手だし、相変わらずのトンデモ展開やバッドテイスト好きな香港カルトカンフーの第1人者!

ヒロインの上官靈鳳(シャンカン・リンホー)とジミーさんが、撮影中大喧嘩してヒロイン役が降板すると言う、相変わらずキナ臭いエピソードに余念が無いジミーさん!🤣

後年、ジャッキーとサモ・ハンを恐喝して出演強要した『炎の大捜査線』なんかは、ジミー作品にしてはかなりマトモな作品でしたが、今作も割と正統派カンフー映画でした。

この作品、日本で一応公開はされたみたいだけど、その後ソフト化かどうかはよく分からないくらい幻の作品!😱
俺はあなたの管で見ちゃった💦

『片腕ドラゴン』や『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』など、イカれた設定の多いジミーさんだけど、武術を嗜む(主にストリートファイト)ジミーさんの本来の嗜好が読み取れる作品でしたね。

他の作品ではステゴロなヤケっぱちカンフーも多いけど、今作は殺陣もキマってるし、ジミーさんとしても、かなり気合いを入れた作品では無いかな?
それにしても、若い頃のジミーさんは男前だね!

途中キョンシーが出てくるエピソードは、『霊幻道士』が制作される10年以上前なのに、いやはやジミーさんの先駆性には恐れ入りますッッ!!😳

また、『ドラゴンVS不死身の妖婆』と言う作品では、不死身のおばあちゃんをタクシーで轢きまくると言うヤバい描写もあり、コンプラ無視な情け容赦ない演出は、韓国映画の先駆けかもね!(大嘘🙇

この頃、香港で傷害事件を起こして、香港を追放されてしまい、台湾へ逃亡した頃かな?
その後、台湾ヤクザの大物と化します。

ヤクザ兼カンフースターとしてキャリアを積み重ねるも、近年体調が悪化して2022年にご逝去されました(合掌🙏

その後の全盛期ジャッキー映画に比べると、相当ドン臭い作りだし、バッドテイストさばかりが目に付いて、映画として破綻してる事もあるんだけど、やっぱり香港映画の歴史としては抑えておきたいね😢

ジミー作品、残念なことに殆ど配信になってないし、廃盤になったDVDもかなり高騰してしまい、もはや鑑賞しようが無い!!

日本の配給会社様!ジミー・ウォング4kリマスター映画祭の開催を宜しくお願い申し上げますッッ!(ジャッキー4kリマスター映画祭第二弾もねッ!!🥺
3.7
1970年の初監督作品『吼えろ!ドラゴン 立て!ジャガー』、そして翌1971年の『片腕ドラゴン』および同年の今作に至るまでの三作は、まだジミー・ウォング先生のイマジネーションにもある種の手堅さが見て取れるという印象を受けます。

象徴的なのは今作におけるゾンビ・ファイターの存在で、結局その正体はラスボスに遣わされたただのオッサンだったという事であり、そこには映画内における因果性や脈絡という規範をベースとした演繹的着想という性質が垣間見えるように思います。

一方で後の『神拳大戦快鎗手(Return of the Chinese Boxer)』や、(名義は「製作」だけど)『ドラゴン特攻隊』などにおいては、ジミー・ウォング先生は嬉々として本物のゾンビや幽霊を躊躇なく投入していたりと、あらゆるアイデアの突拍子も無い有り様に想像力のエネルギーが渦を巻いている様相を感じるワケです。

今作はそうしたジミー・ウォング後期作品の、「面白さ至上主義」の為に脈絡的連関を捨象したイマジネーションの絶対的強度というものにおける、初期段階としての形象なのかもしれないなあと思う次第でありました。

とは言え、アイデアとしてのまさにジミー・ウォング先生的な、純粋でいびつなギミックそれ自体の表出については、回数が少ないながらもやはり尋常ならざる何かを感受せざるを得ないワケで、ジミー・ウォング先生は最初からジミー・ウォング先生なのだと思わせられる事もまた事実ではある。

いずれにしても、ジミー・ウォング先生が「イマジネーションと脈絡」、あるいは「超現実と現実」という関係性を、映画という表現の中でどのような推移を伴って捉えていくのかという軌跡を辿るに当たって、今作は明らかに初期作における一つの区切り目として位置付けられるであろう事から、その意味で70億を超える全人類の中の数百人にとって非常に重要な作品である事は疑いようが無い。
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