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空の大怪獣 ラドンのRのネタバレレビュー・内容・結末

空の大怪獣 ラドン(1956年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

自宅で。

1956年の邦画。

監督は「ゴジラ」の本多猪四郎。

あらすじ

ある日、阿蘇付近の坑道付近で原因不明の出水事故が発生、それに続いて炭坑夫が惨殺死体となって発見される事件が相次ぐ。やがて出現したのは古代トンボの幼虫メガヌロンだった。坑道に逃げ込んだメガヌロンを追って、炭鉱技師の河村繁(佐原健二「世界のどこにでもある、場所」)らは追い詰めることに成功するが、そこで落盤に遭い、行方不明になってしまう。時を同じくして阿蘇高原では家畜の失踪が相次ぎ、散策していたカップルも行方不明となってしまう。現場に残されたカメラのフィルムには巨大な鳥の翼のような影が残されていた。

Netflixにて、無作為にマイリストの中から目を瞑って選んだ作品。

どうやら、これが東宝における初のカラーの怪獣映画らしい。また、劇中コンピューターなどの電子機器を導入する場面が出てくるがこれも初の試みと東宝としてはかなり力の入れようが窺える。

その甲斐があって、ラドンの知名度は勝手知ったる通り。レジェンダリー版ゴジラの2作目「キング・オブ・モンスターズ」でも劇中のコミカルな振る舞いから「メキシコのイキリ鳥」「ゴマスリクソバード」などの愛称で揶揄されるまでとなったw

そんな本作の始まりは炭鉱場面から、出水事故から炭坑夫が相次いで殺される事件が起きるんだけど、結構リアル。暗い坑道の中で、水中に引き摺り込まれる場面では何が潜んでいるかわからない恐怖を巧みに演出している。

そして、主人公である繁とヒロインポジで兄の五郎(緒方燐作「激動の昭和史 軍閥」)が同じく行方不明のキヨ(白川由美「嵐を呼ぶ男」)が一緒にいるとそこに突然巨大な古代の昆虫メガヌロンが現れる。

あー、こいつ見たことある!と思って記憶を思い返すと幼少時持っていた怪獣カードでこいついたわ!あん時も夜の庭に不気味に現れるメガヌロンを捉えたカードが記憶に残っていたが、その記憶が時を超えて鮮烈に想起させるようなこの感覚に1人興奮を覚える。

どう見ても人が獅子舞のように動かした着ぐるみだということは一目瞭然なんだけど、それでも暗闇で民家に突如現れ、蠢く様は単純に不気味。

だから、そのメガヌロンが(ヤゴなので)羽化して、ラドンと戦うのかと思いきや、メガヌロンはあくまでもラドンの「エサ」で前半部分のフックであることがわかるとちょっとガッカリしてしまった。怪獣対決ものだと思ってたんだけど、この頃はスター怪獣の侵略という点に留めているのかなぁ。

ただ、その代わりに登場するラドンのインパクトは絶大!!メガヌロンと同じく前兆なく登場し、突如飛来したかと思えば、翅によるソニックブーム(衝撃波)によって、車や建物をその突風で次々に破壊してしまう。

怪獣といえば、その腕力や口から出すビームでの破壊描写が目立つが単純な風力による破壊という点でもラドンの怪獣としての一点突破の強みを丹念に描き切っている。

やはり、1956年、俺が生まれる前の作品なので、空中を飛ぶラドンや戦闘機がどう見ても小ちゃい人形だったり、ラドン本体も釣っている糸が見えそうなくらい手作り感が満載なんだけど、それでも作り手の「ラドン」という怪獣の恐怖を描き切ってやるんだ!という意気込みが伝わる作りで観ていて、ものすごく引き込まれた。

そして、最も感動したのはラスト。人間たちの攻撃によって、巣に籠もっていたラドンが飛び出すタイミングで阿蘇山が噴火、その噴煙によって二匹のラドンは哀れ、倒れるんだけど、これもミニチュア撮影と液体によるマグマの演出の中、炎に飲まれ死んでいくラドンの最期が手作りだからこその無常感があって、素晴らしかった。

ラドンが死んで、それを見つめゆく人々で「完」となるのもこの頃の怪獣映画の潔さも垣間見えて、なんというか非常に「粋」だなぁと思った。

東宝怪獣映画の起源の一端を遂に体験できたという点で面白さとは別に観て良かったなぁと思える作品だった。

あと、劇中ラドンの日本外での局地的な攻撃によるショットが入るんだけど、その中で「フィリピン」が「フィリッピン」になってて笑ったんだけど、調べたらどうやら戦前は「フィリッピン」の表記だったらしく、そこに時代性を感じたw
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