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空の大怪獣 ラドンのいののんのレビュー・感想・評価

空の大怪獣 ラドン(1956年製作の映画)
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「製作 田中友介/監督 本多猪四郎/特技監督 円谷英二/名トリオが 空前の興奮と迫力で描く/イーストマンカラー 総天然色」
「制作費2億/北九州に長期ロケを敢行して/実に製作日数二百余日/これは観る者をして手に汗握らせる/空想映画の決定版」
「壮絶/迫力/ラドン 最后の日 来るか!」
(以上、予告篇より。あまりにも予告篇が面白かったので、メモしてしまいました。笑)


GODZILLAの最新作を観て、それで私は、先達から学びたいというのか、始まりを知りたいというのか、そんな気持ちになった。残念ながら、自分の頭の弱さといつものウトウトとで、なかなか理解は進まないのだけれど、でも、モスラもラドンも、観ることができて本当に良かったと思う。


「ゴジラ」が1954年
「ラドン」が1956年
「モスラ」が1961年


かつて日本史Bを選択した者として、教科書をひっぱり出してみる。
-1954年、第五福竜丸事件。これを契機に、原水爆禁止運動が全国で高まりをみせた。-



この映画「ラドン」は、阿蘇山をバックに、石炭の採掘場を舞台にして描かれる。この石炭の採掘場の描写が、本当に興味深い。石炭やそれに替わる石油の話は、教科書には、こう記されている。

ー石炭産業は安価な石油におされて衰退し、「斜陽産業」と呼ばれるようになった。1960年に三井三池炭鉱での大量解雇に反対する激しい争議(三池争議)が展開されたが、労働者側の敗北に終わった。以後、九州や北海道で炭鉱の閉山があいついだ。ー

ー1960年代半ば以降、電力会社は原子力の平和利用をとなえる政府の支援のもと、各地で原子力発電所(原発)の建設を進めた。とくに石油危機以降は、石油の代替エネルギーとして原子力の依存が高まった。ー



そこから考えると、採掘場を舞台にした「空の大怪獣ラドン」は、1950年代後半にしか、作り得なかった作品ではないだろうか。時代の必然性を感じて、震えてしまう。


ゴジラを核そのものと考えると、ラドンは石炭の子でもあるのかも。放射能、火山ガス、そして石炭。石炭の採掘場で孵化し、空を駆けても阿蘇に戻り、咆哮するラドンの姿は、このあと訪れることになる、石炭の斜陽と重なって涙をさそう。



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・会話の間に、絶妙なタイミングで入る、犬の遠吠え

・こ、こわっ!ホラー!

・家に上がり込むメガヌロン、こわーい!
メガヌロン、好きくないの。だってこわいんだもん。

・メガヌルンがラドンに進化するのかと思っちゃった!

・特撮、みるの楽しい!わくわくする!

・川村さんが炭鉱内で、大きな卵を見上げる映像が美しい!


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私は、予告篇での上記3名のことをほとんど存じ上げないのですが、反骨精神や平和を願う気持ちなどを込めながら、誰もが楽しめる怪獣映画=空想映画を、特撮など工夫に工夫を重ねて創りあげていく様子や、その熱量を、妄想します。それは、マカロニを、アイディアを出し合いながら創り上げていく、あの男たちの姿と、重なるではありませんか!笑笑笑
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