さくら

さらば、わが愛 覇王別姫のさくらのレビュー・感想・評価

さらば、わが愛 覇王別姫(1993年製作の映画)
4.5
圧巻。衝撃。

語りたいほど素晴らしい作品なのに、上手く言葉が出てこない。

北洋軍閥時代から文化大革命終了まで、文化も人もずたぼろにした、激動の中国の50年近い歴史。
大変革と京劇に揺さぶられた京劇俳優の蝶衣と小楼、元娼婦の菊仙。
時代がそうさせたのだから、かなり苦い思いというか、身を切られる思いになった。

初っぱなから重く、息抜きもほぼ無い状態で、繰り返し見るなんて耐えがたい内容。
それなのに何故かエンドロール流れ終わってすぐに2週目に突入してしまった。
そして感想書いている今でさえももう一度見たくなっているという、謎の中毒性。
私もすでに蝶衣の紡ぐ物語に取りつかれた人間なのかも。
それほどには衝撃的で、そして美しく素晴らしい作品だったことは確か。

京劇「覇王別姫」のストーリー、中国の歴史、そして主に3人の人間関係が絶妙に絡み合う。

誰よりも女性らしいしなやかさと艶かしさを演じきったレスリーチャンが美しい。
京劇や小楼に執着しないと、彼は彼でいられなかったのだろう。

最初っから最後まで口開けっぱなしで見ていた。
ことに最後に気づくほどだった。

これが見たくて見たくて、でも重くて辛い話だと聞いて、歴史理解してないと分からないと聞いてかなり後回しにした作品だったけど、歴史と京劇の演目についてざっくりと勉強してから見て、そして心の準備してから見て良かった。

軽い気持ちで見ると、打ちのめされてしまうと思うので、最低でも心の準備は必要。
ただ、物語のネタバレは極力避けた方がベター。

例えネタバレしてしまっても、レスリーチャンの演技や京劇の素晴らしさなど、一見の価値はある。

原作とは結末や3人の立ち位置?内情?が多少違うみたいなので、いつか原作も見てみたい。




ーーーネタバレ含む独り言ーーー




2回目は流れが分かっているので、作品の雰囲気にそこまで引っ張られずになんとか観賞できた。

とはいっても、見る前はめちゃくちゃグロくてドロドロなものを予想していたので、ビクビクしながら見たものの、思ったほどでは…、いや、前半の体罰云々はかなり心にきた。
いくら昔のことでかつ演技とはいえ、やはり、目のつむりたくなる光景。

2回観賞した結果、1回目よりは登場人物の心情が汲み取れたと思う。

あと、どことどこが対比されてるのか、とかも。
結構同じような場面が役割変えて出てきてたり。
蝶衣が王の腰から剣抜くシーンとか2ヶ所あるし、菊仙と母親は蝶衣に上着かけるし、釈放する際には蝶衣と菊仙は必ず対立するし、他にも大量にある。

文化大革命の自己批判させるシーンはさながら京劇の四面楚歌まんまなのに、内容は愛どころか裏切りとか。
でも恐らく、言わなかったらもっとひどいことされてた筈だから、それを守るためでもあるのだろうけど。

1回目は彼らの人生が衝撃的すぎてストーリー追うのに必死だったので。

ただ2回見たことで、傑作が故に違和感も見つけやすかったり。

菊仙の性格、役割が前半と後半ではかなり変わっている。

前半はなんとしてでも這い上がってやるという気迫というか、使えるものは使ってやる感?擦れた感?がしたのだけど、後半は完全にライバルでもある蝶衣をも包み込む母性に溢れてたんだけど、変わりすぎではないかな?と思った違和感が一つ。

特に蝶衣が日本軍から小楼を救うために舞った前後のあの場面。

蝶衣が菊仙を敢えて焦らし、「小楼を救ってくれたら二度と貴方達の前に現れない」と約束させ、それで舞ったのに、小楼はまるで反国野郎とでも言いたげに蝶衣の頬に唾を吐く。
唖然とする蝶衣を残して去る小楼と菊仙。
そして菊仙は蝶衣との約束を破り、それどころか小楼に京劇を辞めるように言い渡す。

なのに菊仙は同情からか、彼の頬を拭ってやるのです。
あれ??と思った。その後約束は破るのに。

その後、菊仙は阿片の毒にやられた蝶衣を包んであげることをきっかけに、どうも彼女が聖母のようだ。
悪いとは言わないのだけど、やはり違和感は感じる。
だって彼女、小楼の「婚約してる」というその場の言葉を利用して遊郭抜けてきて、彼には「追い出された」と言えちゃう女の子だよ。
蝶衣を釈放する際に、袁に対してはったりで「蝶衣にこの剣の持ち主が助けてくれるって(=お前が蝶衣の王(パトロン)だろ)」と言った子ですよ。
かなり強いよ。笑
まあどちらの面もあるよ、でいいのかな。

蝶衣の小楼と京劇に対する異常なまでの執着は演技と脚本から感じられたのだけど、小楼の人物像というか、彼の蝶衣に対する心情の揺れが分かりにくかった。かも。
私が汲み取れてないだけかな?
なんだか、青年時代からは兄弟愛があったのかもちょっと分かりづらかった。あった様なシーンはあったけど。袁の処刑のときとか。

演技の問題?
3人の、しかもメインは蝶衣と小楼なのに、なんだか小楼の存在が薄いんだ。
インパクトがないというか、何故あんなにも思われる対象だったのか、結局彼は蝶衣を好きなのか鬱陶しかったのか気づいていたのかそれ含めて優しかったのかそれとも天然なほどに何も分からない男だったのかさえも分からない。
彼の人物像が全体的にフワッとしてる。
幼少期を覗いて。

のちにネットでネタバレ読んだときに、菊仙演じた女性は監督と深い仲だったから、とか、レスリーチャンと小楼演じた俳優さんとで、同性愛かそうじゃないかでかなりもめたとか、色々衝突もしてはいるみたいなので、もしかしたら映画と原作が多少異なる原因はそこにもあるかも?違うかな。

やっぱ原作読むべきだな。
違和感はそんくらい。
逆にそこさえ解決していたら満点だった。

素晴らしい作品なので、彼らの内々の感情まできっちり感じたかった。

あとはきちんと汲み取れなかったシーンもあったり。

小楼が文化大革命の自己批判させられるシーンで、始めは蝶衣のことを批判せず「ちょっとおかしいだけなんだ」的なことで庇ってあげるけど、その内たがが外れた弾みで裏切り、「お前は、袁と、そういう関係だったんだろ?」とかなり切実に繰り返しているけど、これは真実を語る自白の延長だったのか、それとも兄弟の行動に対する家族的な心の痛みなのか、はたまた恋愛的意味も含まれた、ついぽろっと出てしまった本音だったのか…。

それとラスト。
蝶衣が自死した理由は、
①別姫に完全になれたから
②それとも境界が曖昧だった自身が男であることを思い出して(「男として生を受け、女ではない」の台詞を意味深に繰り返したから)彼の心が自分に向くことはないと分かったから
④あるいは絶望した
⑤(小四に役柄をとられたあと、蝶衣が小楼に対して「何故別姫は死ぬの?」って言ってるところから)やはり、別姫は貞操を守り死んだから愛ゆえ

分からん。笑
そして意味深にラストのラスト、「小豆子」と呼んで微笑む小楼。
あれは①なのか②なのかはたまた⑥なのか…。

というかそもそも、小豆は本当の意味で小楼に恋していたのか、それとも京劇に執着するあまりにその延長線上で蝶衣として好きだったのか。
時代が時代だからそういう表現を避けてたとかもあるのかな。

小説読も。
さくら

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