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レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカのbluetokyoのレビュー・感想・評価

4.0
以前から見たかった映画の一つではある。期待に違わない面白さではある。ストーリーはあってないような感じ。さらに、いったいなんなのか意味がわからない。だが、もちろん、でたらめに製作したわけでもないし、たんに珍妙なギャグを並べただけでもない。見るものは、この映画に、わけがわからないが、整然とした意味を感じるのである。その意味の根幹は、レニングラード・カウボーイズのどんなジャンルもこなす手堅い演奏ぶりである。ひょっとすると、音楽に詳しい人、とくに、アメリカの大衆音楽の歴史に詳しい人なら、なにがしかの深遠な意味を見い出すものなのかもしれない。そう感じさせるほど、演奏に長けているのである。

冒頭は、ロシア?の凍てつく原野。そこに、横たわる長大なリーゼントとやけにとんがった靴の男。練習していてそのまま凍死したらしい。
レニングラード・カウボーイズのメンバーの一人だ。
この妙な格好で思い出したのが、ブルースブラザーズだが、面白いのは、とくに、ブルースブラザーズをリスペクトしていたりするわけではないということだ。

ようは、たとえば、ジーンズを履いていたからと言って、ジェームズ・ディーンに憧れていたり、ジーンズ沼にはまっていたりするわけではなく、安くて長持ちして履き心地がいいから履いているからに過ぎない。
レニングラード・カウボーイズのトレードマークも、同様で、おそらく、なにかの意志や考えがあるのではなく、自然にそうなってしまったのだろう。ジーンズを履くのと同じなのだ。

レニングラード・カウボーイズは、プロデューサーのいる前で、一曲、民俗音楽を披露する。ところが、プロデューサーからははなからダメだしされる。なぜかというと、実は、見ているものにはわからないのである。これ以降も、ノリノリで演奏するが、観客やコンサート会場の支配人からはいい評価を得られない。そのいい評価を得られなさっぷりが、逆に、面白いのである。

おそらく、考えられるとすれば、民俗音楽の場合は、恰好が民俗音楽を演奏する格好ではないからではないかと思える。

こうして、レニングラード・カウボーイズは、ダメだしされつつ、ロシアの原野からアメリカ、メキシコへと旅をする。
なんのためなのかというと、カネのためである。

つまり、レニングラード・カウボーイズにとってのジーンズとは、音楽産業のことなのだ。音楽産業が当たり前のように存在して、レニングラード・カウボーイズは、音楽をやることによって、生活が成り立つわけだ。
だから、マネージャーのウラジミールは暴君のようにふるまうことができるのだ。長大なリーゼント、先のとがった靴も、いわばカネのためである。音楽をやっているだけではカネにはならないのだ。
メキシコまで辿り着いて、やっと食っていけるぐらいには売れるようになり、ウラジミールは去って行く。
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