「錦の御旗から本音が顔を出す」
今、改めて評価されるべき作品だと感じる。
本作の公開は1967年。
キング牧師の有名な演説が行われたのは1963年、その彼が暗殺されたのは1968年ということも考えると、アメリカはまさに公民権運動の真っ只中だったという社会背景を理解しておく必要がある。
そういった背景もあって、人種差別という王道のテーマに対する切り口が今の我々から見ると非常に新鮮に映る。
現代の作品が、人種差別の卑劣さや醜悪さを観ている観客に思い出させる作りになっているのに対し、公民権運動を背景としている本作では、自分ごととして問いかけられる時代であると観客に問う作りになっている。
娘から突如結婚を報告された夫婦は上流階級であり、父は高級紙のトップとして言論を担う地位にいる。
寛容さと進取の精神に富んだインテリの夫婦は娘に対し人種差別の愚かさや白人至上主義の欺瞞を教えて育ててきた。
そして、大きくなった娘が突然連れてくるのは黒人のパートナーだったのである。
そこでの夫婦の反応が実に人間らしいというか、嘘偽りのない反応で素晴らしい。
「人種差別は憎むべきものだ、娘にもそう教えてきたし、それは正しいことであると心の底から思っている。しかし、いざ自分事となると面食らってしまう、、、」
そう思い悩むのは白人側の夫婦だけではない。
黒人側の夫妻も結婚相手が白人だと知り当惑の表情を隠せない。
白人夫婦の家で働く黒人の家政婦に至っては舌鋒鋭くこの婚姻を批難する。
ここらへんが人種差別な根深さと言うか、解決の難しさと言えるだろう。
両夫婦にとっては、まさに信仰を神から試されるような瞬間である。『全ての人種の平等の実現』とは、究極的に言えばこういうことであると。
神に仕える神父の友人がいう『自分の事となると錦の御旗から本音が顔を出すか?』との冗談参りの問いかけは、本作のテーマを見事に言い表していると言える。
公民権運動が起こり、多くの人が権利の不均衡を糾弾していた当時において、この問いかけは非常に重要だったろう。
翻って現代はどうだろうか。
新たな人々の権利を拡大していく過程で、この作品が問いかけるテーマは、再び重要になってきていると感じる。
特に、長年こういった問題に蓋をし続け、今になって初めて真正面から対峙するであろう日本では、よりそうかもしれない。
我々が逡巡と迷いの末に出す結論は、本作の夫婦と同じものであってほしい。