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山中傳奇のニューランドのレビュー・感想・評価

山中傳奇(1979年製作の映画)
3.8
☑️『山中伝奇』(3.8p) 及び『空山霊雨』(4.1p)▶️▶️ 

『~伝奇』は、初めて観たキン·フー映画で、’80年代半ばだった。恥ずかしながらそれまで他作(最高作ともいわれる長編2作目だが当時日本の批評家の誰も年間ベストテンに入れてない)で日本で劇場公開もされてたこの大作家を見過ごしていた。まだ、プロの物書き未満だった宇田川幸洋さんくらいしか、紹介者もいなかった。それ以来だが、上映時間が10分くらいか長くなり、前回は千人前後の大劇場で少しくたびれたフィルム、ボワーととにかく雄大な感じだったが、今回は小さな劇場で、味わいや余韻はやや欠くも、正確に再現された画調や編集から、究めて静謐でエモーションよりも、世界観照視野を促してくれる作となる。
 そもそも話にどのような価値があるのか、日本人にはズレる。南宋時代、科挙を失敗くすぶる青年が、僻地の高名寺の経典の写経の、かなり重要だが予測不能も待ってる地への旅の仕事を得る。果たして途中で現地の村人に人はあそこに今や誰も、と言われる。しかし、着くと頼りにしてた対西夏戦で亡くなった将軍の、参謀は健在で、尽力してくれる。現地で歓待してくれた女を嫁ともし、仕事に励む。しかし、外敵らしきがうろつき、嫁一家は異常に警戒。その、隠れた闘いや人間惑わしには、鼓対太鼓·銅鑼、赤煙対白光が、距離を持って内は強い駆引きをす。門の鍵対呪文札も。しかし、その外敵の道士やラマ教法師は、妻の本性、悪霊の地獄への連れ戻しに、と伝えてくる。何だか分からなくなるが、法師の尊師と悪霊の師匠は同一人物、参謀も下男も両方の間ハッキリしない。更に、妻以上に懇意になる、食事処の娘も、実体ない幽霊という。
 将軍健在時、2人の女は将軍芸姑としとの嫉妬絡みの殺人の当事者で、現妻は処刑も、地獄から、甦る力を持つ経典写経の作成を聞きつけ、逃げ舞戻ったのが、背後の来歴と分かる。それを防ごうとしたのが幽霊娘。悪霊の苦手、数珠と(写経完成で力増す)手印で、青年はとどめを刺す。
 と、旅中のお堂で夢から目覚める青年。道を引返す。
 美しい自然の山々や小路·川や滝、陽光や夕餉や白いたちこめ霧、端正な住居や部屋の造りと小物道具の点在、直接絡みより·白煙空気や逆舞上がるリアクションのカット継ぎ合せ対応の決闘、柔らかく伸びやかで部分部分が締める、パンやズーム、時に廻り込み、も変な癖や拘りの無いカメラ操作、長めに確かで細かな寄りをいれ·時に複数繋げる、退きも角度やどんでんのカメラ位置変えが静謐な立体の確かさを伝え続ける。確かに法師·悪霊の音響と小物合戦のウェーブと張り、先に述べた直接刀剣対決のアクロバティック(逆転·舞上がり)·白煙カット交えてのファンタスティックの図と細かすぎるモンタージュ組立、魔力怪人化や断末魔身体半溶解のおぞましくも独自美、は益々洗練されてるが、全体を新たに掻き混ぜ直すには至らない。やや広角が主調か。
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『~霊雨』を初めて観たのは『~伝奇』の数年後だったか。『~伝奇』の方が当時からカルト化した人気があったが、見事に引き締まった映画だな、と個人的にはこっちの方を評価した。今回でまだ3回目だが、作品の劣化·保存状態は本作に限ってはよろしくない。元のフィルムのコマ飛び、デュープを重ねたような粒子と色の粗さは、特に前半に普通に観られる。
しかし、やはりこれはこの作家の最も完成され、優れた作品に変わりない。只、ここで求められてるテーマはあからさまなものではなく、肩透かしが真実へ、みたいな大袈裟を揶揄するような、頭の体操と洗い直しで、グッと圧倒イメージの代表的傑作3本(『大酔侠』『侠女』『迎春閣風波』)程焼き付き遺るものはない。
しかし、洗練されこれ見よがしのない、完璧な高度緻密スタイル。冒頭様々な形状·太さの幹や枝·またすすきら越し·DIS繋ぎの、陽光や白霧らに射し込まれた旅の一行から始まる。目的の寺に着いてよりは、やや仰角めの威厳ある人物捉え図が多く探り入れ、ロー図や仰俯瞰が切り返される。かなりのスケール·数の僧侶ら並び配置図のLスペクタクル図は湾曲承知の広角で。縦の構図や、路地·廊下から扉·間仕切の出入りや90º変らで新関連、位置や動きで阿吽で呼応する寄りカットの積み連続、フォローを過ぎての横+やや廻る移動で新位置や状況分かる、それは縦移動長めの事も、また新事実よりも余韻·懐ろ示しの為の移動の事も。多数が駆けつけてよりは、各者にごく短いCUカットも、ズーム使用は限定され少ない、手元他のアップ押さえは着実。ストーリー上の目的が曖昧で、益にもならぬ無駄な行動も多いので鮮やかさ際だたずも、実に完璧なカット積み·移動や角度変での視覚的関係押さえ。
終盤に集中の疾走·追跡·剣劇アクションも、トランポリン飛翔、(捻りや逆さ)飛翔の有り得ぬ降りずの連続繋ぎ、民間法師の連れ来た女人らの実は戦闘員で各種原色の衣や紐の、揃い拡縮しての飛翔や召し捕り、ら竹林·笹ら·丘や崖らでのカット·アクション積みは粋を極める。
話は明王朝期、山奥の広大で影響力大の高名な寺の僧正の高齢引退に伴う後継者選びに、メイン支援者の、巨大資産家、施政と繋がる将軍、民間俗世ての大法師、も呼び、決めんとす。呼ばれた者らはこの際の、三蔵法師直筆の経典巻物の掠めとりを狙ってて、妻や役人と称して、武芸や隠密行動に優れた者らを帯同。候補者の3人のどれかとも、各々裏で繋がってて暗躍が続く。支援·候補の3人の中に、各1人は清心者もいる。テストや推薦もあって、後継は「(小細工なく)水を素直に汲む」と答えた清心者と思いきや、その残った候補者が述べた後継は、僧見習い始めたばかりの元囚人だった。その罪の盗みは冤罪で、それに陥れた(私腹肥やしの)役人もこの場にいて再度罪を着せるが、彼は怒りもせず·波風を避け縄目を受けていて、僧正も了解していた流れの次段階だった。新僧正は、落選者らの陰謀による、食事改善の要求の多大な金工面に直面し、資産家らは巻物の売却を提案。その侭持ち去ろうとするが、旅立った筈の前僧正、俗世法師の連れ来た遊女ら実は術者らに、最終的に阻まれる。改心して新僧正に仕えた筈の役人や将軍もやはり悪と欲の中身を現し、命を落とす。
禍いの巻物原典は焼却され、「大事なのはあくまで内容」と、いくつも作られた写しが配られ、広められてく。
この2本は併行同時進行製作というが、あくまでメインは後者か。
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