bluetokyo

美女と液体人間のbluetokyoのレビュー・感想・評価

美女と液体人間(1958年製作の映画)
1.9
この映画はゴジラ系の映画である。ゴジラの代わりに液体人間が襲い掛かってくる。では、美女はなにを指しているのだろう。美女というのは、まあ、主人公なのだが、彼女が勤めているキャバレーそのもののことだろう。キャバレーの存在する平和な日本、ということなのだ。
だからといって、とくに、風俗産業やショービジネスについて、なにがしかの主張があるわけではない。
映画は、土砂降りの雨の都会から。スーツケースを持ったある男が、停まっている車に駆け寄る。後部トランクにスーツケースを入れる寸前、なぜか、地面に向けて銃を発射して、へなへなと崩れ落ちた。車にいた男、ギャング団の内田は、それに気付いて、慌てて、車を急発進させて、その場から走り去った。
崩れ落ちた男は溶けていた。その男は三崎という名前で麻薬の窃盗を行っていた。すぐに警察は、三崎の女、千加子の住むアパートへ。また、ギャング団も三崎の隠していた麻薬を求めて、千加子のアパートへ。
千加子のもとへは、生物化学を研究する政田も現れる。水爆実験で人間が液体人間になり、それが東京に来ているのでは、と思ったのだ。その矢先、千加子の部屋にいたギャング団の一人が溶けたり、勤め先のキャバレーでも、人が溶けたり、といった事件が発生する。見張っていた警察も、液体人間を目撃し、これはやばいという事態。
警察は、液体人間がいるであろう下水道にガソリンを流し込んで火を点ける作戦。
一方、ギャング団の内田は千加子を連れ出して、下水道へ。どうやら、麻薬の隠し場所は下水道らしいのだ。
それに気付いた政田も下水道へ。内田は液体人間に襲われる。政田は千加子を助け、そのあと、下水道は燃やされて、液体人間も退治される。
実は、かなり、つまらない。上映当時や、その後のオタク的な再評価もあるが、いまとなってはつまらない作品なのだ。
ちょっとエロっぽいのを生真面目に作ってみたらすごくつまらなくなってしまった、というところだろう。
液体人間がどういうものか、決めていなかったというのが、最大のつまらなさの原因のように思える。
千加子の周囲に現れるのは、なにかの意志のようでいて、そんなものはない。たとえば、人間を溶かすのは、食べているのか。もし、かりに、ゾンビ的な発想なら、溶かされた人間も液体人間になりそうな気もする。だが、この当時、まだ、ゾンビは公開されておらず、思い付かなかったに違いない。
bluetokyo

bluetokyo