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弾丸を噛めのmoggadeetのレビュー・感想・評価

弾丸を噛め(1975年製作の映画)
3.5
70年代西部劇の秀作、にはなるんだろうか。

いつも一本筋が通っていて泥を嚙んでも仁義に厚い男ジーン・ハックマンと、背筋がシュッとしてていかさま上等なちょいワルおやじジェームズ・コバーン。このコンビに、いかにもメリケンのグラビアから飛び出てきたようなキャンディス・バーゲンの健康美が色を添える。

舞台は1906年で、すでに「西部」はフロンティアではなく、ぼくたちが知る現在の西部になりかけている。大新聞とそれを支える電信システムが存在し、オートバイが駆け回り、鉄道に沿ったコースを(ある程度安全に配慮された)レースが行われる。かつての西部劇は、こちらとあちらの無法/法の争いがテーマであったのに、この映画ではすみずみまで資本主義の統治は確立していて、そこには見るべき物語がない。お金がかかっていそうな映画なのにどこかこじんまりとした印象を与えるのは、無法と無法、無法と法、法と法が対立し相剋するような緊張感がないからだ。

ハックマンもコバーンもなりゆきでサイドカーつきのオートバイに乗るはめになるのだが、馬と違った資本主義謹製の機械動力に四苦八苦する。小さなサイドカーに身を縮めて乗り込むハックマンの姿は愛らしいが、西部劇にはまったくそぐわない。そぐわないがゆえに、無声映画時代のギャグを反復してしまう。西部劇らしい緊張感の生み出しにくさを、西部劇であるがゆえに自虐的にまで語ろうとするわけだ(正直、うまくいってはいない)。

それでもちょいちょい好きなシーンはある。とくに好きなのは名も知れない老カウボーイ役ベン・ジョンソンの演技。
ずぶぬれになり毛布にくるまって、ハックマンと末期の会話をする。転がる石のように中途半端だったこれまでの人生を語り、このレースに勝ち歴史に名を刻む希望を語り、星を見上げながらふっと死ぬ。夜の闇のなか最後まで名が語られることなく、しかし焚き火の暖かな光に照らされて去っていく老人の、あの目の美しさ。微笑み。
この作品は、ありがちながら、西部の終焉(と西部劇の終焉)をテーマにしているはずで、だとすれば、あのシーンは映画の光のなかにだけ記された無数の無名な役者たちを自然と想起させるものじゃないだろうか。

映画としては冗長だと思う(登場人物を減らして、尺をあと30分短くしてもいい)。でも、ダメな映画かもしれないが、ぼくは嫌いじゃない。
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