かなり悪いオヤジ

ドッグヴィルのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

ドッグヴィル(2003年製作の映画)
4.3
DICTUM AC FACTA。廃坑跡の坑木にラテン文字で「言ったこととやったこと」と記されている。「理想と現実」とでも訳せばいいのだろうか、アメリカ大恐慌時代の架空の村ドッグヴィルに,ギャング一味から逃れるようにやってきた美しきグレース(ニコール・キッドマン)を皆で受け入れようとする住民の皆さんを“理想“とするならば、映画後半、匿ってやる代償としてグレースに重労働や性奉仕を強要する醜い姿は“現実“と呼べるのかもしれない。


撮影スタジオと思しき閉鎖空間で、白線を引いただけのスペースと必要最小限の小道具だけで撮られた本作の狙いは一体何だったのだろうか?一見壁もドアもない空間は風通しも良さげで、実際住民の皆さんはお互いの家のことを十分すぎるぐらいにご存じなのである。しかし、いざ“余所者“が現れるとみんなで寄って集って排除しようとする、とっても閉鎖的な空間でもあるのだ。飛行恐怖症のトリアーが🇺🇸に実際行ったことがないという事実とは無関係のように思われる。


引退した医者の息子で未だ一冊も本を出版していない小説家であるトム(ポール・ベタニー)は、困っているグレースを皆で助けてあげるべきだと、住民の皆さんを集会所に集め説得する。勘違いしてはいけないのがこのトム、決してプロテスタントの正式な牧師等ではなく、精神・知性・身体のバランスをモットーとするYMCAメンバーのような人物なのである。トムのような似非道徳主義者が実際当時のアメリカにはたくさん棲息していたのであろう。


弱みを握られて散々住民に搾取利用されてきたグレースを、事態がヤバくなってきた途端ギャングに売り渡そうとするトムを見ていて、マーティン・スコセッシ監督『キラーズ・オブ・フラワームーン』のヘイル(ロバート・デ・ニーロ)とイメージがマルッと重なった私。「あなたのためですよ」と優しい言葉で言い寄って、弱者からけつの毛1本まで奪取しようとする守銭奴である。グレースがドッグヴィルに留まるためのハードルをちょっとずつちょっとずつ引き上げていき、最後は逃げないようグレースに首輪まで取り付けてしまうのだから。


そんな村に嫌気がさしたグレースは脱走を企てたトラックの中で、荷台に積まれた🍏を思わずほおばってしまう。楽園で知恵の実を食べたイヴのごとく、グレースは善悪の区別を知り恥を覚えたのである。数少ない収入源である🍏を口にしていないことから、きっとトムを含む他の住民の皆さんは本能剥き出しのままに生きる“🐕“として描かれているに違いない。まさにラース・フォン・トリアーの真骨頂とも言うべき悪魔的演出であろう。


『機会の土地〜アメリカ』3部作の1作目を飾る本作は、理想と現実をごっちゃにしたあまり、思いがけない天罰を受けることになったアメリカ人に対する痛烈な批判と言っても良いだろう。ハリウッド女優としての絶頂期にこんなヤバい問題作に出演したことを、後にニコールは後悔していると語ったとか。現在ウクライナやガザで、(ドッグヴィルの住民の皆さんと同じく)理想と現実を取り違えた失態を演じ続けているバイデン政権にもはや未来はないのかもしれない。