真田ピロシキ

月のキャット・ウーマンの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

月のキャット・ウーマン(1953年製作の映画)
2.5
原題まま。バットマンはいないしセリーナ・カイルでもない。しかしDCのキャットウーマンには似てると言えなくもない。

今となってはあまりに牧歌的すぎるロケットで宇宙に飛び立つ人間達。人類初の有人宇宙飛行でそのまま月面着陸を試みる蛮勇には恐れ入るばかり。月に着いても未知の裏側にわざわざ着陸しててその理由が一人のクルーの直感というのだからおおよそ科学的ではない。『宇宙戦争』とか『サイン』のろくすっぽ調べもせずに未知の惑星に乗り込むマヌケ宇宙人の地球人版を見ているようでファニーな気持ち。

さて高度な技術を持つらしい月のキャットウーマンさん達。月の文明は滅亡に瀕していてロケットを奪って地球を征服してやろうとお考えであるが、彼女達に出来るのはテレポーテーションと色仕掛けと女性限定のマインドコントロールという。無理じゃないすか?キャットウーマンさん達も無理だと分かっていながら一縷の望みに託そうとしていたのかもしれないと思うと泣ける。もしかしたら『第9地区』のエビさんに近いのかもしれません。

これは時代を考えると偉いんじゃと思ったのは単純に興行的な都合だろうがまだ現実にはガガーリンが飛んですらいない時代に女性の宇宙飛行士を普通に出している事で、来たるべき未来を提示できている。その先進性は出しただけで力尽きていて、お月さんでは洗脳されての事ではあるけれどもしょうもない三角関係で男性を内輪揉めさせるという役回りなのは褒められたものじゃない。

しかしまだ人類が地球を飛び出した事のない頃に撮られた宇宙SFを見るのは面白い体験でこういう映画を一本くらいは見といても損はない。64分しかないのも素晴らしく、最先端技術と知識に基づいて作られたSF超大作の合間に見てみるのも乙なものではないでしょうか。こういう古い貴重な映画が見れるからアマプラ好き。