真田ピロシキ

トムボーイの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

トムボーイ(2011年製作の映画)
4.0
今週末に反トランスジェンダー差別に関する読書会参加を予定しており、その題材図書の中で紹介されていた作品の一つ。監督は『秘密の森の、その向こう』のセリーヌ・シアマで2011年作品。秘密の森の〜で見られたように説明に依らない語り口や基本的に劇伴を廃し自然光の演出など静謐なスタイルが既に見られて、しかも90分もないミニマムで濃密なドラマで、広告映画と煩わしく感じるようになったブロックバスター作品などよりずっと映画に集中できる。

物語は両親と妹と共に引っ越してきた10歳のロールがミカエルという男の子として近所の子供達と付き合い始める。実際このミカエルは美少年と見える。それは顔立ちもあるが、ミカエルがしきりに唾を吐き上半身裸になって(まだそれが通用する)サッカーに興じるように男らしいことを過剰なまでに行うことで強化されている。反トランス差別の本に「シス女性が抵抗を覚えるような女性のステレオタイプがトランス女性に取っては頑なに拒絶され続けてきたものであり自力でそれを身につける権利を獲得した」と書いてあって、ミカエルはこうでもしないと絶対に女性に引っ張られる。シス男性やシス女性なら女性的な男も男性的な女もかなり自由に選べるが、トランスジェンダーにはそれがない。ジェンダーロールに雁字搦めされてる現実。

そのことをさらに強調するかのように映画はミカエルの身体が女性であることをあけすけに晒す。泳ぎに行く時に女性用水着の上を切って股間に詰め物をしたり、サッカーで男子が立ちションしてる中で1人だけこっそり草むらに入って放尿したり、極め付けは入浴シーンでかなり明確に全裸を映す。もちろん卑猥には撮っていないが良いの?とシス男性である私は見てて居心地がとても悪い。ロリコン野郎は遠慮なくネタにしそうで、演じたゾエ・エランの当時の年齢を思うと心配になる。ケアはちゃんとやってるのだろうが。

そんな風に緊張感は度々あるものの、物語は田舎町のなんてことのない日常が綴られてイベントの特盛に辟易してる身としてはこの上品さを気に入っていた。しかしやっぱりそのままでは終わらせてはくれなかった。娘が幼い頃の母親に会う秘密の森〜はファンタジーな設定の割にさほど大きなことが起きない話だったが、本作は"女"バレを避けられない。そこで語られるのはボーイッシュは理解を示せてもトランスには寛容になれない親であり、田舎だからであろうかミカエル(ロール)と良い仲になっていたリザへ囃し立てる男子の同性愛蔑視。これも本に書いてあったことで「トランスであることは否応なくシリアスにさせられる」という下りを思い出させられ、ただトランスが日常を送るだけの物語を流し受け止められる状況にまだない。トランスにはイベントが必然とされている。こうした現状を抑制した語り口で表すシアマ監督の手腕は流石。

映画はリザに女の名前を尋ねられ不敵に笑いながら答えるミカエルの姿で終わる。あれは好意をまた向けられたことでミカエルを捨てることを考えたのか、それともロールを求めるリザや両親に見切りをつける意思表明なのか。この曖昧さ。そもそもどっちかを強要する世間への態度なのかもしれない。