Kuuta

田舎司祭の日記のKuutaのレビュー・感想・評価

田舎司祭の日記(1950年製作の映画)
3.9
お腹いたい、眠れない、祈れない

OJTも無いまま1人教区を任されたエリート新卒司祭は、いきなりプレッシャーで胃を悪くしている。

友人も居ない単身赴任生活。粗末な食事を頬張り頑張るが、日常業務にモンスター信者の対応、無意味な助言を繰り返す上司、「転任をお勧めします」と心ないクレームも届き、雨を理由に教会を休むという小学生並みの行動を取ってしまう。

自己嫌悪に陥った彼は、仕事を続ける資格が自分にあるのかと悩み始める。小さなミスで自信を失う悪循環にハマっているように見えるが、どこにも逃げ場はない。次の仕事は、容赦なくやってくるのだ…。

司祭評議委員による、フィードバックという名の反省会。「この間どんな会話をしてきたのか、ざっくりで良いから書き出してくれないか」。こういう上司嫌いだわー。

手紙を出しなさいと言うが「根拠はなかった」とぶっちゃけたり、色々まくし立てるおばちゃんに「聞いてませんでした」と開き直ったりと、司祭の内面を把握しながら聞く懺悔シーンはなかなか新鮮だった。「体調悪いなら休めよ」と言いたくなるが、彼の場合、仕事=信仰=人生だからたちが悪い。

ちょっとだけ真面目なことも書くが、「聖」書を読み込む司祭が、「俗」のドタバタを日記として出力する、という対比が基本構造としてあるのだろう。降りかかる苦難は神の恩寵であり、神は私を見てくれている。そう思えば生きていける。彼はそんな風にフォーカスを変えながら、悲劇と喜劇の間を行ったり来たりしている。

キリストの血肉を体に取り込み、反動として吐血し、弱っていく、という不毛な信仰の循環が映画を回している。村人や友人が飲み物をくれるシーンは何度もあるから、その度に彼は俗世間から救いの手を差し伸べてもらっていたのだろうが。吹っ切れた感のある終盤のオートバイ爆走シーンは爽快だった。

最後に文字として記憶されるようになった司祭は、聖書同様、信仰そのものになったと言える。あの俗まみれの文章&生活を信仰と呼んで良いのか疑問も残るが、ラストの言葉を考えれば、そういうことなんだろうなと自分の中では納得できた。

無駄を削ぎ落とした画面で言葉を映像に変える。ブレッソンは、次作の「抵抗」でも手記をベースにしている。78点。
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