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枯葉 〜夜の門〜のpikaのレビュー・感想・評価

枯葉 〜夜の門〜(1946年製作の映画)
3.0
カルネの中でも個人的にイマイチだった。残念。『運命』と名乗る全てを見通したような男が登場人物の周りをウロウロして忠告するんだけどその人物が映画の中でイマイチ機能していない、どころか邪魔にすら感じた。カルネはだいたい始まりから終わりにかけて右肩上がりに面白くなると勝手に考えている作家で、ゆっくりと時間をかけても少しずつ登場人物に愛着が湧いてメロドラマを楽しんでいけるんだが今回は『運命』とやらがキャラの行く末を暗示して回るもんだから話の流れがわかってしまって結末のための筋をただなぞっているだけに見えてしまった。悲劇か喜劇かの違いくらいで映画の筋、特にメロドラマならばある程度話の流れはわかるよ、っていうのとは違う。それは映画の外の話だから夢中になってればどうでもよいと思える。映画の中で登場人物とは立ち位置の違う特殊な存在が敢えて暗示してしまうと本来は映画の外に居るべき存在が中にいることで虚構性が強まるのか、それでいてメタ的な面白味もないからメロドラマなのに映画との距離が空きすぎて単なる茶番としてしか見えなくなってしまう。
運命は変えられないとか言いながら傍観するでもなく「やめておけ!」「ほら言ったのに!」「言うこと聞かないなら知らないからな」とか言っちゃうのもマジで謎。存在の必要性がさっぱりわからん。
オープニングからクライマックスのごとくガンガン鳴らす音楽も大仰過ぎて引いてしまう。
予算がたっぷりあったのか画面ぎっしりのモブに壮観なロケなど単に説明でしかないようなものを映像で再現してしまえている。本物を画面で見せることができるとアイデアを凝らす必要はないとばかりに演出はシンプル。詩的リアリズムは好みだと思ってたんだけどこれ見たらちょっと引いたと言うか、ギトリやロメールも延々と喋っている映画だけど、キャラが自分に酔って大仰に語りまくってるのがちょっと気持ち悪くなった。しかも喋ってる時の演出がほぼ一定。カメラも全然動かない。場所や立ち位置の説明程度。俳優任せなカッティング。喋ってる間はほぼフィックス。棒立ちで会話している役者を切り返しで繋いで音楽で盛り上げる。それぞれちゃんと演技してるんだろうけどバランスもバラバラだし、『運命』とやらのせいで茶番に見えてしまうから演技も間抜けに見えてしまう時もある。
カルネは好きだし時代的にも一番ノッてる時なので「なんで?」という感じ。調べると制作も二転三転、興収も散々、とあるから失敗した作品なのか。

この捻りのあるネタとカルネの演出が壊滅的に合ってないのか。そもそもネタ自体が映画映えしないものなのか、ストーリーと会話をキッチリ見せるだけでは映画というより再現ビデオなだけではないか。
でも脚本がイマイチだろうが演出でできることはあるしカルネならできそうだからやる気がなかったのかな。役者の起用に二転三転したとかって話だし、勝手な憶測だけどコンビ組んでたのに今作で解消することになった脚本家と何かあったりとか。
文句ばかりですみません。
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