午後

ベルイマン監督の 恥の午後のレビュー・感想・評価

ベルイマン監督の 恥(1966年製作の映画)
5.0
暴力と恥辱に満ちた戦争に呑み込まれ、変貌していく夫婦の話。冒頭、長引いた戦争を逃れた元音楽家の夫婦は農園を営み、ラジオが壊れたら戦争の音は聞こえなくなる。近所の友人がラジオで聴いた情報、日替わりで勝利が目前であったり敗色濃厚であったりする、信用ならない戦況をぼんやりと伝え聞くだけだ。些細な諍いは絶えないが、育てた桃が良い値段で売れればはしゃいでワインを買いに行く。
それが次第に街に軍用車が増え、不穏さが漂ったと思うと怒涛のように理不尽な暴力が押し寄せてくる。昨日は善であった行動が、今日は悪として断罪される。刻々と変化して見通しのつかない、ままならない状況にされるがままに押し流されていく夫婦。家に軍隊が次々と押し入ってくる描写が怖い。他のベルイマン作品に比べて、手持ちカメラによる撮影が多く、後半の場面は常に動揺や不安、緊張が充満している。
シドー演じる心臓病持ちでナーバスな夫が、鶏を殺すのにも躊躇していたのが、生き延びるために暴力に手を染めることをためらわなくなる後半、快活であどけない表情を見せていたリヴ・ウルマンの顔が、疲れ果て、色を失くしていくその変化。これはきっと彼女にしか出せないし、ベルイマンにしか撮れない顔だろう。
誰かの悪夢に出演しているような気がする。その人が目覚めたらどうなるの?という台詞や、心不全で亡くなった母を訪ねた時、亡骸の手指に絆創膏が貼ってあり、生きているようだった、という話の生々しさ。市長が家に来るシーンの地獄のような空気。
穏やかだった前半から動乱の戦争描写を経て、再び不気味なほど静かになるボートのシーンで、顔の映らない水死体をオールで掻き分けるシドーの顔が忘れられない。
今作では、宗教的な側面は薄いが、人間の恥部を厳しく見つめたベルイマンの視線は冴え渡っている。傑作。
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