デニロ

風の中の牝鷄のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

風の中の牝鷄(1948年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1948年製作公開。脚本斎藤良輔、小津安二郎。監督小津安二郎。

題名からのんびりとした方の小津調のお話かと思っていた。小津安二郎がトレードマークの階段で仕掛けて物語を終わりにする。

終戦直後。戦地から未だ戻らぬ夫を小さな息子と一緒に待つ田中絹代。ミシンの内職で日々の暮らしを立てているのですが、それだけではままならずに、今はもう着ることもないと思い定めた着物を切り売りして凌いでいるのでした。

そんなある日、幼な子が高熱を出し病院に駆け込む。医者の診断は、急性大腸カタル。そのまま入院となり一晩が明ける。何とか命はとりとめたのですが、ほっとする田中絹代には次なる心配事が。ここの支払いをどうしよう。

日々の生活から察するに蓄えがあるわけでもなし、頼りにする人もない。着物を売るときに闇売人に仲介してくれる友人も生活は苦しいだろうから当てにしては迷惑だろう。思いはぐるぐるとめぐってもはや収拾がつかない。思い至ったのは着物の闇売人が言っていたこと。

闇売人の示した月島の家に行き男と床を共にして金を得る。

そうこうしているうちに夫/佐野周二が復員してくる。喜びは大きいのでしょうけれど物質的には何もないので実に淡々とした出迎えです。大変だったろう。そう言って留守を労う佐野周二に、つい息子の大腸カタルのことを話してしまう。もうすっかり良くなって/それは心配だったろう云々と会話は続くが、その支払いは大丈夫だったのか、と聞かれると、田中絹代は言い淀んでしまう。どうしたんだ、黙ってちゃ分からんだろう、徐々に気配を察した佐野周二の勢いに怒気を帯びて来る。すべてを告白した田中絹代は泣き崩れ、佐野周二は言葉を失う。

後日、佐野周二は月島のその店に出向く。女を呼んでもらうと21歳だという若い娘がやって来る。聞くと、父親と弟を養っているのだという。そんな話を聞いていると、あの戦争の果てがこれなのか、無辜の女が苦しんでいるだけではないか、そんな風に腹立たしく思えてならない。いや、自虐的にそうかんがえて世界を肯定しなくちゃならない自分こそが恨めしい。だが、他の男に肌を許した妻は許せない。

大分前に『薄桜記』という映画の中で、市川雷蔵の幼な妻が雷蔵にしっとする輩どもに凌辱されるという場面があり、雷蔵は言い切る。妻に罪はない、が、幾人もの男に凌辱された以上はもはやわたしの妻ではない。

佐野周二は、こうはすっぱりと切り棄てることは出来ない。ロシア文学の悩める青年のような面持ちで悩みに悩むのだが、田中絹代の顔を見ると怒りが湧いてしまうのです。縋りつく田中絹代を足蹴にするとそのまま階段落ち。

/もう二度と考えるまい、大きな気持ちになるんだ。もっと深い愛情をもつんだ。笑って信じあうんだ。/佐野周二はそう自身に含めるように言い、田中絹代も頷くんだけど、どうだろう。佐野周二が復員する前、田中絹代と友人/村田千英子が土手で若かりし頃のことをおもいで語りする。おまわりさんのお嫁さんになりたかった、郊外の家で犬を飼う、旦那さんがファックス・マクターのコンパクトをお土産に買って来てくれる、マックス・ファクターよ、云々。もう駄目ね、わたしたち、と自分のしてしまったことに苦しむ田中絹代は言う。何言ってんの、昔みたいな夢、もう一度持つのよ。

ひどく苦しい物語だった。小津監督ななんでこの時期にこの題材を物語ったんだろうか。

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