Eyesworth

不安は魂を食いつくす/不安と魂のEyesworthのレビュー・感想・評価

5.0
【アリはクスクスを食い尽くす】

ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーによって1974年に制作されたドイツ映画。

〈あらすじ〉
舞台はドイツ・ミュンヘン。未亡人のエミは掃除婦として働き、子供たちと生活していた。ある雨の夜、エミは近所の酒場で年下の移民労働者の男性、アリと出会う。愛し合うふたりは瞬く間に結婚を決める仲になるのだが、エミの子供たちや仕事仲間からは冷ややかな目で見られてしまう…。

〈所感〉
ファスビンダー監督作初鑑賞。他の作品は全くわからないので褒めちぎるのもどうかと思うがこれは素晴らしい作品だと思う。完璧な映画でマイナス点は一切無いと思うのでフルスコア。ただし、今の時代なら非難轟々も当然の最悪の映画です。相当気分悪くなるので胸糞悪い系が苦手な方は見ないほうが良いでしょう。
エミの娘の夫役がファスビンダー監督なのか!カリスマ性を感じる憎らしさがある。あらゆる差別のオンパレードで今の時代だったらポリコレ的・倫理的に完全にアウトだが、だからこそ偽りない人間の本性が作品に投影されていて見ていてゾクッとした。こんなこと思っている時点で自覚していないだけで十分私もレイシストなのかもしれない。まず、冒頭のバーからエミに集まる多くの視線のカメラワークにめちゃくちゃ明らかな人種、年齢による差別が窺える。この映画を見ると導入部の掴みってホントに大事だなぁと思った。そのお蔭で90分飽きることなく見ることができた。アリは黒人の移民ということで、明らかに排他的な扱いを受けており、白人のおばさんのエミとは一生交わらない存在のはずが、ひょんなことがきっかけで結婚まで至ってしまう。最初こそ、周りからどんなに酷い仕打ちを受けようとエミとアリは二人の世界さえ守れればお互い幸せだと思っていた。しかし、時が経つに連れお互いの存在が負担となっていく。幸せのはずが色々な悩みに駆られて息苦しい。アラブの古諺の通り、まさに〈不安は魂を食い尽くす〉である。エミは亡き夫を思い孤独に生活し、アリはクスクスを食べて幸せに生きていくのが正解だったのに。その選択をあやまってしまうが故の我々人間である。この映画の見所は酒場と階段である。酒場は"対等"の象徴的な場だ。しかし、酒場の客は画面にびっしり収まっているのに対してエミは一人ポツンと画面を占領している。客は皆が対等であるはずの酒場が非対称なカットにより、アンバランスの巣窟と化している。ここでは社会とは逆転してエミこそがマイノリティなのだ。一方で階段は"上下関係"の象徴的な場だ。この映画にはエミの住むアパートと職場で階段が登場するが、階段が登場する時にはいずれにせよ差別行為が行われている。職場でエミが仲間外れにされたと思ったら、外国から来た新人が入ると今度はエミが仲間外れにする側になる。潜在意識下では誰もが差別(もしくは区別に近い差別)をしていることを現しているように感じてならない。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と福沢諭吉先生は素晴らしい名言を残したが、名言というものは限りなく不可能に近い故に名言である。正しくは、「天は人の上に人を造り、人の下にも人を造る」である。そういう精神構造なのだから仕方ない。
Eyesworth

Eyesworth