名優ポリス・カーロフのアメリカ最後の主演作。怪奇映画俳優と無差別大量殺人犯との遭遇を描き、アメリカン・ニューシネマ時代への過渡期を体現した重要な一本。「ペーパー・ムーン」(1973)のピーター・ボグダノヴィッチ監督デビュー作。脚本協力サミュエル・フラー(ノークレジット)。原題は「Targets(標的)」。「死ぬまでに観たい映画1001本」リストに選出。
年老いたかつての怪奇映画スター、オーロック(ポリス・カーロフ)が突然引退を宣言した。若い映画監督のサミー(ピーター・ボグダノヴィッチ)は説得するが“現実の恐怖が蔓延している今、自分は時代遅れになった”として聞き入れない。その頃、銃砲店で銃と弾薬を買うボビーという男の姿があった。彼は妻や両親の前では模範的にふるまっていたが、実は恐ろしい衝動を隠し持つライフル魔だった。。。
今までノーチェックだったのが不覚と悔やまれるほど好み。シネフィルで知られるボグダノヴィッチ監督ならではの、映画愛と批評精神あふれる大意欲作だった。タランティーノ監督作品の元祖とも言える。
冒頭、ゴシックホラーなセットにカーロフが登場し、あれ?タイトルとイメージが違う?と思いきや、実は試写会のシーン。映っていたのはカーロフ主演の「古城の亡霊」(1963:本作プロデューサーのロジャー・コーマンが監督、終盤でも挿入)。これがとても巧みな導入で、主人公オーロックのモデルがカーロフ本人であることを一目瞭然に示す仕掛け。中盤には若き日のカーロフが出演した「光に叛く者」(1931:ハワード・ホークス監督)をテレビで見るシーンがあり、ボグダノヴィッチ演ずる若い監督サミーがその演技と演出を称賛する。本作の第一のテーマはカーロフと先達へのリスペクトを込めた郷愁なのだ。
そして第二のテーマは現代の狂気。ライフル魔ボビーの前触れなき殺戮テロは、本作の2年前に15名が犠牲になったテキサスタワー乱射事件(1966)をなぞっている。コカ・コーラを飲みながら淡々と射撃を続けるボビーの描写はアメリカン・ニューシネマの先駆と言えるもの。カーロフが作ってきたフィクションの恐怖映画とは次元の違う、現実世界の乾いた恐怖を表出させている。
この明らかに違和感のある二つの“恐怖”を一本の映画で並立し対比しているのが本作の面白いところ。両者が遭遇するクライマックスの現場がドライブインシアターであることも実に巧い設定。本来は“恐怖ロマン”を観客に届けるスクリーンから、実弾が次々と観客に撃ち込まれる様はこの上なく映画的な象徴表現と言える。
最後がまた良い。フィクションが現実を退治する痛快と「これが現実か」とつぶやき退場するかつての怪奇映画スターの哀しみ。アメリカ映画に大きく貢献したカーロフをねぎらうようなラストシーンに思わず感涙した。本作の翌年にカーロフは他界した。
※本作は低予算だったため、カーロフには2日間の撮影を依頼した。しかしシナリオを読んで感銘を受けたカーロフは無償で5日間の撮影に参加した。
※最初のアメリカン・ニューシネマとされる「俺たちに明日はない」(1967)は本作の前年に公開