お気に入り映画だけ太郎

東京家族のお気に入り映画だけ太郎のネタバレレビュー・内容・結末

東京家族(2012年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

2023年の発見について。

小津については初めて見た作品が「お茶漬けの味」だったのだが、通ぶったバチが当たったのか、見事に苦手意識を植え付けられてしまった。それ以来、遠ざけていたものの、このところの生誕何年で嫌というほどテレビでみるため、短尺視聴という形ではあるが、果敢にトライしていた。そして、「東京物語」という一番有名な作品に触れた時に、苦手意識がやわらぎ、同時に小津に対する新たな発見が生まれた。

苦手意識がやわらいだというのは、たぶん「東京物語」はこれまで見たものよりも相当わかりやすく作られているからである。そう感じたのは画である。私のイメージだと、小津は同じ画ばかり撮る。背景が同じというか。そこが苦手意識を持った一つの点であった。しかし、今回はきれいな画を撮ってみたり、大きな小道具を置いてみたりして、背景にバリエーションがある。

ただ、ここで思ったのは小津映画にとって背景はあってもなくてもいいものであるということだ。だとしたら、何が大切なものなのか。私は人間だと気づいた。普段、私は人間も含めて、画面の全体を見る見方をしているのだが、人間だけに注目する見方に変えてみた。すると、実に多様な動き、つまり運動をしている。こうして見ると、確かにわかったような気がしてきた。チャップリンやキートンの映画をこうやって見ることはある程度考えつくが、まさか小津安二郎の映画をこうやって見るとは思いもよらなかった。

ちなみに、私が見たのはデジタルリマスター版だったのだが、なんか人の上に魂みたいなのがずっと映っていたような気がした。そして、先程言った運動も加わって、人間という存在、実体をすごく感じた。

ただ、やはりわからない点はまだあって、それは棒読みと表情のない顔である。小津についての番組で岡田茉莉子さんが「能が芸術の完成形。小津映画もそうなっている」と言っており、さすが吉田喜重の奥さん!と思ったものの、まだ理解は出来ていない。

なるべく読まれたくないため、あえてこちらに書きました。