毎日カップめん

レ・ミゼラブルの毎日カップめんのレビュー・感想・評価

レ・ミゼラブル(2012年製作の映画)
1.3
● お互いが邪魔をし合っている

歌によって語るのがミュージカルなら、映像によって語るのが映画。
本作はその贅沢すぎる映像が、歌を毀損している。
あるいは、長すぎる歌が、映像を毀損しているのである。


● 三分か、あるいは三秒か

極端にいうと、映画は一切の台詞無しに、三秒で観客に状況を伝える芸術である。

けれども本作は、その観客にも解ることを、延々と歌で三分間も語り続けてしまう。

例えば、マリウスが戦いに敗れ、一人生き残ってしまった事を苦悩する場面は、
映像演出では台詞無しに、時間にして「数十秒と、三カット」で演出できる。

① 一人孤独にたたずむ、マリウス
② 酒を飲む
③ 死んでいった仲間の写真か絵でも見て、泣き出す

(ほらね? 台詞もいらないし内容も伝わるでしょ?)

これを本作では、「三分以上もかけて、歌で説明してくる」のである。

このミスマッチ感は、歌か、あるいは映像のどちらかが過剰で、互いを毀損し合っている為に起っている。

大きな動きのない舞台の上で、

「登場人物が歌で語ることによって成立する芸術」がミュージカルなら、

大変残念な事に、

本作は「途方もない設計ミスの上に製作された」と言わざるを得ない。