とらも

映画 鈴木先生のとらものネタバレレビュー・内容・結末

映画 鈴木先生(2012年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「生徒会選挙」「マイノリティの排斥」という問題を通じて、鈴木先生が自分の教育方針への自信を取り戻す映画。

ドラマ時代から「鈴木先生」は、民主的な方法と市民としての義務に至上価値を置いており、生徒がもたらすあらゆる問題を議論や、関係者との交渉によって解決する。そしてそのやり方を生徒たちが学ぶことを鈴木先生は教育だと考えている

今回の映画は、選挙システムに不満を持って生徒会に立候補する生徒と、レイプされそうになりながらも犯人と対峙する女生徒の成長を見るとともに、自分と似た思想を持ちながらも「暴力」に訴え出た犯人を「言葉」で否定し、女生徒の自分への信頼(=自分の教育方針への承認)を受けることで鈴木先生が自信を取り戻す話である。

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問題含みなのは、ニートの扱いで、二人とも社会の中に溶け込むことができず暴力犯になる。ステレオタイプとしての突然きれる性犯罪者というイメージを強化している。脚本の古沢さん自身、もともとほとんどニートだった時期があるからか、自身の作品によく登場させてて日本ドラマやテレビの常識からすると大分優しい目線で扱ってはいる。しかし古沢さんが、たまたま送った脚本のコンテストで入賞して社会に包摂されたからか、ニートがこの日本社会で自力でなんとかなる道を見つけるという展開を信用していないらしい。
鈴木先生の最後の言葉は「俺は逃げれたけど、お前らもう逃げ道ないよな。俺はよく知らないけどこれからの人生のこと考え直せ」と伝わると思う。そしてこれからの人生をどう模索するかの解答は用意されていない。(古沢さんが悪いというよりは日本社会が解答をもってないのでしゃーないのかもしれんけど。2015年の月9「デート」で高給取りの女の子に寄生したら?と提案してたり向き合おうとはしてるのよね。)

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「絶対的正しさ」というものを民主主義以外は信じていない作品なのだが、その良さがラストの生徒の独自解釈に現れている。鈴木先生が自信を失うきっかけとなった、過去の生徒の批判を、現在の生徒が優しい解釈をして先生を肯定してあげるのだ。

古沢さんの一番の良さは実はここにあると思っていて、絶対的な正しさなんかないけど、相手のことを受け入れるために作られた優しい「解釈」ってあるよねっていう。物語ってそもそもそういうことじゃんか。現実の厳しさを優しい解釈で包むのも物語の一つの良さだから。

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民主主義民主主義といってきたけど、
どんなひとでもみんな同じ権利の民主主義というよりは、責任を果たす能力のある人により多い権利をという共和主義的な考え方を鈴木先生はしていて、これも一歩間違えればインテリによる権力の横暴になりかねない。鈴木先生てそういうあやうさも含んでいる作品である。冒頭の過去の生徒による批判はだからこそ割と核心をついている。この映画は実はその問題に答えを出してない。(たるこ先生みたいな自分の意見しか認めない似非民主主義者でなく本格的な人を登場させると結構鈴木先生の欺瞞が浮かび上がると思う。)

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僕は原作読んでないのでもしかしたら上記の多くは古沢さんでなく原作者の案かも。
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