かすとり体力

ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日のかすとり体力のレビュー・感想・評価

3.8
以前から気になっていたところアマプラ配信。

(さて、本レビュー、ストーリー上核心的なネタバレはしていないが、どうしても本作の構成に触れざるを得ないところがあるため、ガチのゼロの気持ちで鑑賞されたい方におかれては、鑑賞後に読んでいただければと思う)

本作、鑑賞前にイメージするものと鑑賞によりゲット出来るものが違い過ぎる。良い意味で。

「虎と筏で漂流する」という設定から、鑑賞前はどうしてもイロモノ系のファンタジーを想像しちゃうけど、本作が提示するのは超絶メタ視点、「人間が物語を作るのはなぜか」というえげつねぇ領域に到達している。

そういう意味で、本作のようなどんでん返しの手法をとる作品は初めてで、それだけで衝撃を受けました。

さて本作、そういったメタ要素を抜かして観ても、事前に想定されるジャンルを事前の想定以上のレベルでやり遂げた作品になっているというのが相当に尊い。

これ即ち「オチのためのフリ」をしていないということね。フリがフリだけで成立している。だから我々はそれがフリだということに気づかない。その結果、オチの時点になってフリが伏兵として機能し、オチの衝撃が倍増する。こういうロジック。

ほいで、最後のどんでん返しな。

なぜ本作が「イロモノ系ファンタジー映画」として描かれて来たのか。

もっと問うと、なぜ我々は物語を求めるのか。

言い換えると、なぜ我々は個別具体の世界と直接対峙できないのか。

この問い自体はアート作品の中でときに提示されることがあるが、この問いとそれへの暫定解を、ここまで説得力をもって提示できている作品を私は知らない。
その時点で、本作はひとまず、人類にとってかけがえのない作品と言って良いのではなかろうか。

ただ一点その先で思うのは、社会的にはこの「ストーリー社会の功罪」みたいなことが既に主張され始めてもいて。

そりゃそうだよな。
個別具体の事象をそのまま受け取れず、そこに虚構の因果関係の糸を張り巡らせて物語化することでしか世界を理解できない我々人間に対し、

ここで現れたるは世界の事象を統計と確率でバイアス抜きにファクトベースで正確無比に処理するAIですからな。

こういった社会課題の議論に向けた視座の設定という意味でも(あ、当然ながら普通に面白いファンタジー映画としても)いろんな人に勧めたくなる一作でありました。
かすとり体力

かすとり体力