荻昌弘の映画評論

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかの荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

 いまの世界に、これほど激しい悪意の毒をもった諷刺映画が考えられるだろうか。気狂いになった大将が、自分勝手に報復と称して水爆を飛ばしてしまう。大統領もそれをとめる手段がなく、肝心の呼戻し暗号も、機械がこわれてしまえば何の役にも立たない。しかも、この気狂い攻撃が誤ちだと判っても、“敵”からは自動的に“人類皆殺し爆弾”がハネ返ってくる……。
 人間が、自分たちのチエで作った機械と、自分たちがでっちあげた恐怖哲学に完全に組み敷かれてしまった姿の極致ーーその最も悲惨で最もコッケイな愚劣さを具体化してみせたのが、この異色アメリカ映画だ。
 昨秋スタンリー・クーブリック監督からこれを見せられたとき、私は、喜劇映画もここまで大胆な文明批評に達したのか、と唸った。
 すばらしいのは、クーブリック監督が、この突拍子もなく誇張と逆説にみちた諷刺的フィクションを、まったくリアルな映画的迫力で組みあげてみせたーーその活動写真家根性である。もちろん、米軍部や政府この製作に協力するわけはないから、クーブリックはここで、まったく画報かなんかの知識に想像だけをかけ合わせて、B52の操縦席もワシントンの作戦室も映画的にでっちあげてしまったのだった。中でも、歩兵部隊が気狂い将軍の司令部を包囲するあたりの戦争ニュース調は出色だ。
 小説「フェイル・セイフ」や映画「5月の7日間」の好評でも判るように、いま私たちの強烈な関心や不安や恐怖は、金庫破りや強盗から、もっと大きな世界政治の動きへ移ってしまっている。「5月の7日間」は、それを最もまともな形でとりあげたサスペンスの秀作だった。
 この映画はそれを一見最もフザけた形で反語的に強調してみせた決定打的な傑作だといえる。その、どぎつくトボケた、針に猛毒を含んだ笑劇タッチを3役のピーター・セラーズのアクの強い演技で、くっきり助けているのが印象的。どえらい監督とコメディアンが出てきたものだな。
『映画ストーリー 13(6)(154)』