平沢智萌xxxネタバレ気味注意

かぐや姫の物語の平沢智萌xxxネタバレ気味注意のレビュー・感想・評価

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)
1.0
俺の中では「見る価値なし」と評価せざるを得ない。

買ってきたパンフを読んだけど
月で涙を流しながら歌っていた天女の話が詳細に書いてありました。
ただ、俺は「パンフ等を読まないと分からないものは映画ではない」
と思っているため、映画自体に描かれてないものは
いくらパンフに書いていたからと言っても、映画で挑戦してる人としては
卑怯な逃げでしかないし、手抜きでしかないと俺は思う。

パンフを見れば姫の罪も分かったし、
天女の涙から気になったあとの姫の話も分かったし
なにより月での姫の身分も分かった。
でもコレは映画内では語られても見せられてもいません。

それはもう「映画」ではない。
パンフで補填しないと作れない作品なら作るな。
というか作る価値もなし、見る価値もなしと評価するに正しいと思える。

「画」で勝負しろよ、マジで。
ジブリも堕ちたな。というか高畑がなぜジブリに居るのかわかんねーw
巨匠宮崎に並ぶに値しないと思うんだけど・・・比べるのもおこがましい。


賛否両論あると思いますが俺は「否」でした。

読まれる方はそれも踏まえた上でご覧ください。
それに関しての非難はご遠慮願います。
少なくとも「俺」にとっては「否」であったというだけなので。

また、以下ネタバレも含むかもなので注意。




■映像について
画風は「かぐや姫だからあの画風」と選らんだようには思えない。
前作「となりの山田くん」で軽いタッチの映画を作れたから
今度はこっちの画風でなにか作ってみたい!が先行した様にしか思えない。
で、劇画風タッチの映画としてなにを作ればいいか?→かぐや姫どや!
という感じで作られたようにしか残念ながら見えなかった。
作品ありきでの画風ではなかったのではないかとしか思えない。

たしかに昔話とか絵巻風で最初は「意外にいいかも」なんて思ったけど
姫が成長する途中の過程(笑うと成長するミステリー全体の付近)が
姫の容姿や頭身、諸々に統一性がなくて
成長してこの頭身、この容姿だったはずなのに
次のシーンで戻ってるとかあって混乱した。

確かにこの画風、冒頭は凄く真新しくて新鮮だったが
映画もずっと見てれば都に行くくらいの頃には
すでに観客の目はその画風に悪い意味で見慣れてしまう。
よって後半になればなるだけ、見慣れた結果による
「線や諸々の粗」が凄く見えてきてしまうように感じ取れる。
山や木々などは適していたかもしれないが、
結局都などの建造物や人物などを多く描く箇所に至っては
この画風は逆にマイナスになってしまったのではないかと思う。

だって最終的にこの画風・・・
水彩とか絵巻風とかじゃなくて「絵コンテそのまま」だわ;

風景の綺麗さだとか、四季折々の景色とか綺麗と言われていたが
押し付けがましいほどに季節を前出ししてきてたなーと・・・
地球や自然の美しさならば、俺はジブリでいうなれば
「もののけ姫」でアシタカが村から飛び出した時の日の出のシーン
あのシーンの壮大さ、自然の広さ、空気感、清涼感・・・
あのワンシーンだけで全てが揃っていて圧巻して目が離せなかった。
「かぐや姫」ではそれこそ「空気感」や「清涼感」という
自然にあるべき澄んだ感覚まではやはり伝わってはこなかった・・・。
おしつけがましいあけびとか・・・ダイレクトだった感じがする。
自然の美しさを表現するにもそれだけじゃないのになぁ・・・と;

例えばひまわりが書いてあれば誰だって悩むことなく「夏だ」って思うよね?
かぐや姫はそういう伝え方をしていた。
それはそれでイイし悪いとは言わないけど、
画が語りすぎてて、媒体の主張が激しすぎて他になじんでこない感じがした。
次項でも少し触れるけど「自然音」にも気を使っていたと思われるので
そういう点でも頑張ってどうにか出来たんじゃないかなーと・・・;



■音楽について~物語自体について・・・
音楽が凄く良かったという人もいるが
逆に俺は見ていて「音楽に重きを置いてない」と思った。
音楽よりもむしろ「無」から聞こえてくる
草の音、虫の声、風の音・・・それらの方を重視してたように感じる。
ゆえに音楽自体に重きを置いてるように感じなかったイコール
音楽がイイとは全く思わなかった。

最後の月からのお迎えは「一体どこのパレード始まったしwww」と
その陽気さに失笑するしかなかった・・・。
それでも例えばそこにその意味を求めるのであれば
「月は質素だから記憶を無くすまでは月も楽しそうだと思わせる作戦」
なのかな?とか思うこともしようと思えば出来る。
しかしそういった描写も理由付け関連もない。

月は人の心も思考も目に映るものもすべてモノクロで真っ白な世界。
それは分かる。だから姫は地球に憧れた・・・と思いそうだけど
コレ自体も実際映画自体ではそうは描かれていなかった。
過去に地球に下りたかも知れない人が
なくした記憶の片隅に覚えている歌を歌いながら涙するのを見て
胸が高鳴った、気になった・・・程度であり
イコール「地球が楽しそう、生きたい」とその時に願ったわけではない。
罪と罰とは言われているが、明確には描かれてもいない。
言葉で説明するのは「映画」なので野暮ではあれど
見せるはずの映像にもそれらは描かれていたとは記憶していない。
なぜ姫は地球に降下されたのか? 胸が高鳴ったことが罪なのか?
歌自体ではそれが地球のこととも思えないはずだし
歌で涙する理由さえも月に居た頃の姫には知ることも出来ないのでは?
と、その理由が映像にはなかったように記憶する・・・。



■役者について・・・
宮本信子以外、最悪のキャスティングだったな・・・と思う。
死者に文句は言いたくないが、それとコレとは別として
地井さんは地井さんのままであり、翁ではなかったと思う。
というより翁の人物画から出てくる地位ボイスは違和感でしかない。
地井さんの声質で演じるキャラはあの翁では決してない!!
あの翁から出る声は地井さんの声では決してないはずだ!!
それくらいの違和感を翁にずっと抱いて聞いていた。
ただ元々が優しい人なので翁の姫を思う気持ち自体は伝わってくる。
しかし「キャラ画」と「声質」のギャップはどうにもならん・・・
翁に関しては、演技が悪いのではなく声質が合ってないに尽きる。
宮本信子はキャラをしのぐほどにしっかりと合致していて
一番しっくりと耳にも心にも伝わる演技をされていて安心した。

問題は肝心の姫だ。最低最悪だった・・・。
声質自体は嫌いじゃないんだけど、なんていうか・・・
映像自体にも「見せる力」がほぼ薄くダメダメだったところに
伝えるだけの技量のない役者を使うことで
「姫の気持ちも感情もなにも伝わってこない」という駄作っぷりに
一役買ってしまったようにしか判断出来なかった。
「ここはもう少し強く」とかそういう指示で強く言いました、的な?
そこに筋としてあるはずの感情から生まれる言葉ではないこと
+キャラ自体に見せて伝えるまでの表現力が全くなかったと思う。
感情が瞬発的に動いたりする、その際の表情の見せ方はイイと思うが
「姫の思いを丁寧に描いた」と言われている割には
「この瞬間に姫はなにをどうしてそうなったwww」という
筋や一貫性、というか流れが分かりづらい・・・というか分からない。
役者も足りてない、映像も足りてない、むしろ
映像と演技があってないことだって多い・・・故に
「え、どっち?どういうこと?それでイイの?」と混乱する。

役者陣の芝居云々別にして、
「姫の気持ちや思いを丁寧に描いた」というよりは
「周りの人間の気持ちや思いを丁寧に描いた」方が強いと感じた。
むしろ姫の思考回路の方が、特に都に行ってから分からない。

裳着等の祝いのシーンで初めて姫が駆け出していくシーンがあるが
あそこで激昂するまでの流れも少々・・・
「ここに居るだけなんて自分はいないのも同然なのでは?」という
思いについては充二分に理解はするが、
その後の公達の「顔見せろ。ブサイクだったら許さん」的な話を聞いて
激昂しだすわけだけども・・・
コレで怒っちゃったら普通に「私の文句言われてる!」とか
「ブサイクとか許さない!」とかにしか思えないわけで・・・(^^;
よく解釈しようとすれば「お人形でしかない」と思ったとも思えるが
映画とは本来出てきていない事柄については「無い」と解釈するも同義。
都についてからは「人ではないのか」という言葉はあっても
人形のようだ、という表現はなかったと思う。
ではこの公達の言葉で「人ではない」に繋がるなにかでもあったか?とか

その流れで最初の絶望を見知っていくわけだけども
単にあそこで駆け出させたかっただけのようにも思えなくもない・・・



ただ・・・解釈しようと思えばどーにでも解釈出来てしまう点が
ある意味「卑怯かな?」という感じがしなくもない。
解釈というのはあくまで観客の想像で補填されるものであって
映画を見て直感的に感じるものとは違うと思うから・・・
そういう意味あいで「解釈」しようと思えばどうにでも出来る。
「生きるって素晴らしいんだよ!」
「世界って凄いんだよ!」
「後になって後悔してもダメなんだよ!」
言いようによってはどうとでも言える解釈設定。
でもそれは「かぐや姫を使って伝えたいことでしたか?」と思うと
「かぐや姫じゃなくても良かったんじゃない?」としか思えなくて・・・

あと天人と月の使者ってイコールではないと思うんだけど
なんで月から来るものが如来っぽいものだったりするんだ?w
あと天女達が楽器弾いているのみて
聖☆おにいさんの天女達を思い出さざるを得なかったwww



とまぁ、もっと細かく言えば細かく出てくるんだけども
ちょっと疲れたのでこの辺で・・・


追記・・・
買ってきたパンフを読んだけど
月で涙を流しながら歌っていた天女の話が詳細に書いてありました。
ただ、俺は「パンフ等を読まないと分からないものは映画ではない」
と思っているため、映画自体に描かれてないものは
いくらパンフに書いていたからと言っても、映画で挑戦してる人としては
卑怯な逃げでしかないし、手抜きでしかないと俺は思う。

パンフを見れば姫の罪も分かったし、
天女の涙から気になったあとの姫の話も分かったし
なにより月での姫の身分も分かった。
でもコレは映画内では語られても見せられてもいません。

それはもう「映画」ではない。
パンフで補填しないと作れない作品なら作るな。
というか作る価値もなし、見る価値もなしと評価するに正しいと思える。
さらに言ってしまえば「パンフ読めば映画見なくてもいい」となる。
だって・・・例えばTVで放映したり、DVDになった時ってサ
皆は手元にパンフはないんだよ?!
補足説明が無い状態で見るってことだよ?!
それで、パンフだけに書かれてある補足を読み取れ!というのは無理っしょw

「画」で勝負しろよ、マジで。
ジブリも堕ちたな。というか高畑がなぜジブリに居るのかわかんねーw
巨匠宮崎に並ぶに値しないと思うんだけど・・・比べるのもおこがましい。