このレビューはネタバレを含みます
子どもの嘘は自分を認めてもらいたいがためのものだ。そして、それが嘘かどうかは大人には判断が困難だ。なぜなら、自分の中で肯定されきった嘘は、もはや本当だからだ。
少女はラブレターを幼稚園の先生に渡す。
しかし、それを拒否される。彼女はそのショックから、プライドを守るために「先生が嫌い。男性器を見せたから」と嘯く。彼女はラブレターを拒否され、恥ずかしさからくる会いたくない気持ちを、嘘の上塗りによって肯定したのだ。
GTOで見たような設定だが、この手の冤罪で取り上げられる事実は、常に被害者の証言だけだ。その証言が事実かどうかなんて、誰も気にしない。そりゃそうだ。被害者が全てだからだ。
だが「子どもが嘘を言うはずがない」という前提の元、「知らない」「分からない」「忘れた」を連呼する子どもに恣意的な質問を投げかけ、頷いたから事実と認定するのは馬鹿げている。
そして、一夜にして犯罪者呼ばわりされた先生は、街中から非難され、糾弾され、村八分にされる。
彼はスーパーで買い物もできない。
日本じゃありえないが、偏見によって買う権利を奪われたのだ。
親友の子どもに手を出す?
そんなわけがない。
しかし、彼は逮捕される。
彼を支援してくれるのは、もはや息子の名付け親だけだ。名付け親の男は初めから彼を信じていた。半信半疑が確信に変わったのは、少女が自分の家の地下室について詳細に喋ったからだ。少女の家に地下室なんてなかった。彼は釈放されるも、町の住民からの嫌がらせはどんどんエスカレートする。
犬を殺され、窓から石を投げつけられ、異常者呼ばわりされ、後ろ指を指される。
彼はもはや限界だった。誰も祝うものがいないクリスマスイブ、教会に来た親友に激昂する。もう、僕には何もないのだと。
そしてその夜、少女が嘘をついたを自白する。これまでの行為、嫌がらせ、親友の心情を察すると涙が止まらず、同情から酒とチキンをふた切れ持って出かける。
時間は流れ、憎しみ合った住民と和気藹々と祝賀会をあげる男。
彼の疑いが晴れ、息子のライフルのライセンスを得たお祝いだ。男の隣に職場で出来た彼女が隣に座っているから、おそらく事後の出来事なのだろう。
その夜、少女が彼の元を訪れ、彼はやや怪訝そうに少女を抱き上げ、親元に連れて行く。
彼は息子と狩りに出かける。
そこで彼は誰かに銃で撃たれる。その弾道はギリギリ当たらない。銃口の先を見ると、そこには親友らしき男の姿がある。しかし、逆光でよく見えない。
しかし、次の場面では男は消えて降り注ぐ太陽の光だけが男を照らし、物語は終える。
男は彼が創り出した不安の塊による幻覚なのだろうか、それとも親友を許せなかった少女の父親だろうか、あるいは最後まで許しはしなかったであろう少女の母親だろうか。
答えは深緑の奥底に眠ったまま、決して判明することはない。
物語の根幹は信頼だ。何を信じ、何を疑うべきなのか。小さな町には、その境界が最早曖昧だ。