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ヒッチコックのtakのレビュー・感想・評価

ヒッチコック(2012年製作の映画)
3.6
あのスリラー映画の大傑作「サイコ」誕生にまつわる舞台裏を描いた物語。僕はヒッチコック監督の大ファン。初めて観たのは高校時代にテレビで観た「鳥」。ジャングルジムにカラスが集まる場面で震え上がったけど、あの不気味な結末が妙に気に入り、その後も繰り返し観た。大学時代に「裏窓」「ロープ」を観てその着眼に恐れ入り、「泥棒成金」でグレース・ケリーに惚れ、「汚名」にハラハラして「めまい」に感涙した。以来、ヒッチコック監督作はサイレント時代や大戦中の短編を含めてほぼすべてを夢中になって観た。妻アルマが若い頃からヒッチコック監督を支え続けたことも予備知識としては知っていた。その前提でこの映画「ヒッチコック」に挑んだ。

映画通じゃないと観られない映画だとか、シロウトにはわからんとか、世間では言われている。うーん。確かに「サイコ」そのものを観てないと理解できない部分も多々あることだろう。逆に、数々の逸話がある映画だけにそれを知っているからこそ、「えー?そこまで?」と物足りなく思えるところも多々ある。有名なシャワールームでの殺人場面についても、「短いカットをつないだ」とは触れてくれるが、体を傷つけるところや裸を見せずにいかに怖がらせるかで映倫のチェックを突破したかなど、詳細に見せてくれはしない。でも、映画が終わって冷静に考えると、そこを全部描いてしまうとドキュメンタリー映画になってしまう。悪く言えば、テレビ番組でよくあるチープな再現ドラマになってしまう危険もあった。サーシャ・ガヴァシ監督はドキュメンタリー映画を手掛けていた人で、劇映画は本作が初監督。だから、おそらく数々の逸話を語り倒したい気持ちを抑え込んでメガホンを握ったのではなかろうか。そのバランスを保ったのは脚本だろう。ただでさえ映画会社の出資を得られずに背水の陣で撮影に挑んでいる監督が、妻の浮気(まぁご本人も主演女優との遍歴があるからお互い様なんだろうけど)で精神的に不安定になっていく様子を軸にして、映画中盤は男と女のドラマに仕立てていく。

「女がわからない。どうして女はみんな私を裏切るようなことばかりするのだ。」と劇中ヒッチコック監督はつぶやく。世に天才と呼ばれる人々は、ヒッチ監督だけに限らず、自分のやっていること以外は目に入らず、みんなどこか奔放で子供みたいな人たちだ。特にヒッチコックはブロンド美人を主演女優に据え続ける(偏執的な)こだわりは有名。ヴェラ・マイルズとのエピソードは劇中でも語られる。綺麗な女優はオレがスターにしてやれるという自負と自信がある一方、それは彼の一方的な恋心でもある。女の子はみんな、オレのもの。そう誤解しているとさえ思える程。男として気持ちはよーくわかるのだけど。そんな彼を支え続けた妻アルマの気持ちが爆発するベッドルームの場面。何も言えずに黙ってしまうヒッチ先生。まさに叱られた後の子供だ。成功者の陰には必ずよき理解者がいる。「ジュリー&ジュリア」でも思ったことだが、夫婦のあり方を考えさせられる。プライドの張り合いは醜い。お互い頼り合えること、理解してあげることが必要だな、と思わされる。

「サイコ」が試写で酷評された後、再編集で一級品に仕上げたのは妻アルマの功績。編集室の場面からラストまでこの映画は一気に高揚感で満たされる。音楽の効果などいらないと主張する監督の意見を一蹴し、バーナード・ハーマンの音楽を付け加える場面は素晴らしい。夫と妻の力関係、アルマがいかにすぐれた編集者であるのか、ヒッチ作品が彼女に支えられたものだということを一気に語りかける。悲鳴のような弦楽器が印象的なあの「サイコ」の劇伴が流れたとき、「ああ、これだよっ!」と世界中の映画館の暗闇で笑顔になった映画ファンたちがいるだろうと思った。配給会社が先行は2館のみ、と厳しい注文をつけた後の宣伝作戦。ここの見せ方もうまい。こういう観客のノセ方がいい。そして迎える公開日。戦慄のシャワーシーンを観る観客の様子を、劇場の外からのぞくヒッチ先生。ハーマンの音楽を指揮するかのような仕草と、呼応する観客の悲鳴。上手いなぁ。

映画は随所にヒッチコック映画らしさも見せる。例えばオフィスからブラインド越しに外を見る場面。ヒッチコック映画は”のぞき”の視点とはよく言われるが、これはまさに「サイコ」の冒頭。ラストの鳥が肩にのる演出もいいね。こう言ってしまうと、この映画が鑑賞者を選ぶような映画通向けの作品ととられるかもしれない。しかし。あなたに映画をつくる人々に対してリスペクトする心があるならば、子供みたいな監督の奔放さとそれを支える妻の心意気に少なからず心動かされるはず。ヒッチコック映画はサスペンスであると同時に男と女の物語でもある。それは銀幕のこっち側で観ている物語だけでなく、むこう側で繰り広げられる男と女のドラマ。久々に淀川長治センセイにみせたい映画!と思えた。あ、そうそう。脚本家ステファノ役が「ベスト・キッド」のラルフ・マッチオ!思わぬ再会w。
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