平沢智萌xxxネタバレ気味注意

凶悪の平沢智萌xxxネタバレ気味注意のレビュー・感想・評価

凶悪(2013年製作の映画)
4.5
実際に遭った事件を基に作られた映画
「一体誰が一番凶悪なのか」という問い掛けのようなもの

物語としては事実を基にしているので
最後に「もしかして?!」「まさか?!」といったものはなく
そういう点では消化不良感も残らなくないですが
「創造」と「事実」の違いであれば納得もするエンディングを迎えます。
なので物語に関してはそういう意味では「期待」してはダメですw

しかし個々のキャストの芝居がそりゃもう素晴らしい!
ピエール瀧とリリーフランキーなんて大好きな役者さんなので余計♪

各々の人物の「人間が持つであろう心理や興味、好奇心」は
筋が通っていないようでありながら通っているようで、
通っているようで通っていない
けれど「人間」ってそういうものだし「感情」ってそういうもの
俺だって「人を殺す!」って明言したことないけども
誰だって一度くらいは「人を殺してみたい」「殺したい」とか
ドラマの見すぎなんでしょうねぇ「死体を見てみたい」とか思うもん

河川敷の近くに住んでるけど、その川沿いや橋を通るたびに
「死体浮いてたりしないかな」って思ってたりしますもん
そういうファンタジーみたいに出会うことのない事だからこそ
容易に安易に「見てみたい」「遭遇してみたい」って
軽く考えられてしまう興味や好奇心、結構ある人多いと思います

木村はサイコパスのようにも見えるけれど
映画ではサイコパスっぷりは半減してるように見えます
あくまで「興味」や「好奇心」が前提にあって
段々とその箍が外れていって麻痺していく感覚はやはりリアルに思う
特に最初の焼却炉での須藤が「俺がやるからいいよ」に対して
「違うんだよ、俺が火をつけてみたいんだよ」という返し
そしてその芝居や表現がまさに「興味」や「好奇心」

藤井の記者魂も「正義感」によるものとしても
正義感であっても藤井は「当事者ではない」時点で
どう足掻いても「興味」や「好奇心」を「正義感」で隠してるだけ
妻の池脇千鶴の「楽しかったんでしょ?私も面白かったもの」に
ほぼ集約されているように感じる
俺は刑事ドラマや推理ドラマが横行していることによる弊害にも思うが
全く関係のない第三者が、情報を得たことで
主人公にでもなったつもりで
要らぬことを正義感を持って推理し追求していく…
当事者の事は当事者にしか分からない
けれど「推理する側の立場で無関係の第三者が自分の事のように考える」
それは一種の「狂気」であると思うし
まるで「魔女裁判」のようにも見えるのがやはり怖い
それを大勢で表現するのではなく、
あくまで記者である藤井が体現している風に思えた
(さらに「記者」であるという時点でマスコミに対する反発もあるかも)

須藤は確かに感情に任せてぶっこみまくってたのは事実だけど
須藤の中にはヤクザらしい「人道」的な「裏切りを許さない」という
筋が一本通っている結果の粛清なのでヤクザなりのケジメなのだろう
裏切られたり嘘をつかれたりしなければ感情的にはならないし
木村に対しての絶対的信頼?等を見るに、奥さん曰くの通り
とても「情に熱く嫌いになれない」というのは分からなくもない
木村が最初に「やっちゃった、どうしよう」という不安に
「俺に任せろ」とする部分は、内容はアレだけども
木村の立場からすればとても頼もしかったし安心もしたと思う
バラしていく手際の良さ
「任せろ」と言っただけあって、木村が「やらせて」と言うまでは
「いいよ俺がやるよ」との責任感も見せる
それだけで「恐ろしいけれどとても信頼に熱い兄貴なんだな」と分かる
それ以降は常に木村の為に動いているような節が多い
ヤクザとしての筋の通し方での粛清以外は全て木村の要望に応えた形

酒を飲ませていた老人に対して「やりすぎだって」と言いつつも
本当のたまーに見せる「ヤバいだろ…」って引くような姿も見せる
須藤の中でも木村の箍の外れっぷりには
共感しえない部分があったように見える


最終的に木村が言った言葉
須藤は木村を殺したいというよりは「野放しには出来ない」とした
木村は「殺しを見たい」ゆえに実際にあまり自分では手を下していない
さらに大義名分として「誰かの願いを叶えたに過ぎない」と
「自分が殺したいと殺意を持っているのではない」わけです
藤井だけが確実な狂気を持って「殺してやる」と殺意を持っている
木村が須藤に、須藤が木村に、そして被害者達が
「許せない殺してやるんだ」と思うなら当たり前だろうと思うが
誰でもない藤井が一番の殺意を抱いて、未だに追い詰めようとしている
客観すればこれってとても不思議な光景なわけですよね…

そしてこの事件の恐ろしい部分は「誰もが抱く殺意」であること
介護老人で金や精神が擦り減っていく家族の崩壊っぷり
「コイツさえ居なければ…」は誰もが思う「殺意」
しかし実際に自分では理性が働くから誰も殺そうなんて思わない
でも切羽詰まった状態で「俺がやるから」って人が現れたら…?
妻の池脇千鶴でさえ「何度も母さんを殴ってる、もう罪悪感もない」
本当にコレって事実であって、何も感じなくなることが一番怖い
それだけ疲弊しきってて、殴ることにも抵抗ない人が抱く「殺意」
「死ねばいいのに」「居なくなればいいのに」という願望
殺人依頼をした牛場さん達の行動や判断は倫理的に言えば許されない
けれどその行動や、とってしまった判断というのは
「理解できない」という人は少ないと思うし共感できてしまうと思う
誰もが成りえる道という警告もあるんじゃないかなと思う


物語としては「事実」ゆえにどんでん返しもオチもあまりない
ただこの映画で見るべきは「各々の登場人物達の心情」だと思った