パイルD3

ミークス・カットオフのパイルD3のレビュー・感想・評価

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)
4.0
サブスク頼みで始めたケリー・ライカート監督祭りも、いよいよ未見長編作品は残すところ3本。
長編4作目の「ミークス・カットオフ」は、オレゴンの完全にドライアップした荒野を舞台にした西部劇。
もちろん言うまでもなくライカート流の異色ウエスタン、一筋縄ではいかない。

オープニング、川を渡る幌馬車の一団の姿に合わせて、川の流れゆく音、鳥の鳴き声、ハエの羽音、馬車の車輪がきしむ音、水を汲む音、洗い物をする音…そんな単調な物音だけの映像が5分以上続く。これぞライカートワールド全開の絵姿で俄然嬉しくなる。

1845年頃のオレゴン、ひび割れた大地を幌馬車の家族たちが進んで行き、ヒーロー不在のもうひとつの西部開拓史が展開する。

《ミークス》
タイトルのミークスというのは、移民団から抜け出して、一路西部を目指した三世帯の家族から水先案内人として雇われた男の名前で、続くカットオフ(cut off)は多分2つの意味に引っ掛けてあると思う。
ひとつは、仲間内に割り込んで来た他所者という意味、もうひとつはそいつをクビにするという意味。

クビというのは穏やかでは無いが、何と水源を確保しながら進むための道を間違えてしまい、補給手段を断たれて、ミークスは批難の槍玉に挙げられる事になる。
移民排除のためにワザと間違えて追い出すつもりだという話まで出る。

《運命》
不穏な展開を見せるストーリー上、最も意味深なのは皮肉屋でもあるミークスが、真顔で“運命だ“という言葉を使ったこと。
少なくとも雇われたガイド役である以上、不用意に口にしてはならない種類の言葉である。  
おそらくこの百戦錬磨のナビゲーターには、
先住民の行動から先が見えたのかも知れない…

この作品では明確には描かれてはいないが、種族にもよるが、先住民は追われる身になると、部族、家族を守るためとんでもない方向に逃げるものだという。
ついに白人に捕えられたら、その時点で死を覚悟し、道連れを試みるのだという。
この事を思い出した…

ミークスの言葉には、あきらめを示す絶望の響きさえ感じられて、“運命“という一語が、実は主人公たちの先行きへの暗喩にもなっている。

人が人を信じるということはどういうことなのか?という素朴な意味を、追い詰められた人間たちを通じて問い掛けてくる。



※後で知ったのですが、“ミークス・カットオフ“というのは歴史に残っている言葉のようで、西部開拓史などで有名な、開拓民らの常道コースだったオレゴントレイル(オレゴン街道)は、実は先住民らの急襲が激しく危険で、作品の登場人物たちのように、実在したらしき案内人ミークスを雇い入れて通り抜けるために使った裏道の事らしいです。
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