幽斎

小さな悪の華の幽斎のレビュー・感想・評価

小さな悪の華(1970年製作の映画)
4.0
本作は1970年製作、日本は1972年公開。当時の日本ヘラルドの宣伝文句「地獄でも天国でもいい、未知の世界が見たいの!。悪の楽しさにしびれ、罪を生きがいにし15才の少女ふたりは、身体に○をつけた」自主規制(笑)、私が生まれる前からネタバレは存在していた。フランス本国では過激な描写で上映禁止、他のヨーロッパの国々も追従する。

首を傾げるのは日本の倫理規定、性器やヘアの露出には円盤化でも厳しい制限を掛ける癖に、ドイツの死姦は容認するボーダーはナニ基準なのかサッパリ分らへん。アメリカのマフィア映画よりも過激な日本のヤクザ映画を平気でテレビ放送する摩訶不思議。まぁ日本は切腹の国で、斬首するのも刀文化の由来だが、そのお陰で?発禁の本作や過激なホラー映画が日本では普通に観れる。フランス映画に極めて寛容なアメリカも遅れて上映。

日本で何度もリバイバル上映した為か、DVDも何度も仕様を変え(計6回!)リリース。アンタも好きね、て感じですが(笑)、DVDなのにデジタルリマスターを発売したが、元のフィルムがフランスらしいボケ加減なので、何をクッキリ、ハッキリ見たかったのかはご覧頂くとして、私が見たのは友人から借りた、今年4月に発売されたエディション。何が違うのかは知る良しも無いが、本来2018年以前の作品はレビューしない主義だが、スリラー映画の視点でも見る価値は有る。

1954年に起きたジュリエット・ヒューム事件をモチーフにした作品。フランスを代表する詩人Charles-Pierre Baudelair「悪の華」に魅入られた事件だが、私はこの映画を逆説的に知る事に成る。犯人Juliet Marion Hulmeは、ロンドン生まれのイギリス人。移住したニュージーランドで殺人事件を起こしたが当時15歳。親友のジュリエットとポーリーンが、ポーリーンの母親オノラ・リーパーを殺害。2人は「エス」思春期女子の同性愛、性的関係に堕ちてた。

これを知った両親、特に名門大学学長のジュリエットの父ヘンリーは2人を引き離すべく、娘を南アフリカへ移住させる手段に訴える。しかしポーリーンの母オノラが計画の急先鋒と思い込んだ2人は殺人を計画。装飾石を落としてオノラに拾わせ、レンガで撲殺。2人は20回以上殴っていた。当時のニュージーランドの法律では死刑を下す年齢に満たない為「女王陛下のお許しが出るまで」実際は2人で会わない事を条件に5年後に仮釈放。

ニュージーランドで知らない者は居ない鮮烈な事件だが、それを同じニュージーランド出身Peter Jackson監督が「乙女の祈り」1994年に映画化。主演Kate Winslet、作品はヴェネツィア映画祭監督賞、オスカー脚本賞ノミニーと高く評価された。本作との違いは事件よりも2人の女子高校生の内面的な視点が中心、演出もソフィスティケートに力点が置かれてる。過激な本作の予習にもお薦めしたい。

問題は此処から。犯人Juliet Marion Hulmeは無期懲役の判決が出た後、名前を義理の父の名字を取ってAnne Perryに改名、仮釈放後は母国イギリスに帰国。CAとして働きながら歴史小説家として活動。父親はイギリスで水素爆弾の開発を手掛ける大物。歴史モノは全く売れなかったが推理小説「The Cater Street Hangman」を発表。殺人鬼がミステリー作家としてデビュー、と言うのは偶に有る。William Monkが活躍する記憶喪失の私立探偵シリーズは世界的大ヒット「名探偵モンク」の原作者は彼女なのだ。私は先に小説から彼女を知ったので「乙女の祈り」を見た時は衝撃だった。因みにポーリーンも、後にイギリスに移住して子供向けの乗馬学校を開設、今もスコットランドの離島で暮らしてる。

日本でもこの事件に影響を受けて書かれたのがコミック「惡の華」。私はアニメは一切見ないので詳しい友人から聞いた話だが、確かにタイトルそのままだし、映画を模したシーンも数多く登場するらしい。衝撃のラストもコミックでは中盤のクライマックスで登場するそうだ。コミックはヒットしてアニメ化されたので、興味のある方は。女子高生がこの時代にBaudelair著「悪の華」を読めば、サタン崇拝に傾倒するのは分る気がする。

私も元クリスチャンだが、宗教系の寄宿舎の厳格なルールは。多感な時期には抑圧にしか見えない。性への欲求は年齢に関係なく、Peter Jackson版「乙女の祈り」は、マイルドにアメリカらしいセンテンスで描いてるが、本作はエキセントリックなフランス映画。レイプ等の性的描写に躊躇が無く、この時代には数多く作られた。因みにフランスの場合は現実でもレイプ事件は多く、通りすがりの人を襲うケースが多い。日本人観光客も数多く犠牲に為ってるので、オシャンティなパリへの一人旅は、武漢ウイルスが収束してもお勧めしない。アメリカは襲う側が低年齢層が多い、これは貧困と人種問題がリンクする。日本は残念ながら近親相姦、顔見知りの犯行が圧倒的に多い。

本作も事の始まりは修道士が許されぬ恋をしてるのを覗いて、神父に告げ口する所から始まる。其処から周りの男を誘惑して、自分達の性の解放、眠っていた欲求を呼び覚まし、剥き出しの本能で弄ぶ。何か書いてるとフランス書院文庫っぽく成るが(笑)、男が誘惑されると本能に負けるのは昔も今も変わらない。本作の場合は描写が攻め過ぎて上映禁止に為ったが、それもフランス映画のありふれた日常。

本編でも妻子ある男性も簡単に篭絡される。彼女達は悪い事をして初めて「悪い事」が分るのだ。それが青春と呼ぶには余りにも代償が大き過ぎる。男も一度性欲に溺れると歯止めが効かない。サタンは口実に過ぎず、人は「悪の沼」に嵌ると気付かぬ内に自らを破滅に導いてしまう。現代でも痴漢や盗撮、万引きが止められないのは立派な病気、依存症である。人は開けてはいけないパンドラの箱を内に秘めてる。それを開けてしまった時、2度と元には戻らない事を事後に思い知る。綺麗な世界では、人の心は満たされないのだ。

本作が時代を超えて心に響く理由、それは人々が偽りの嘘で固めた生き方をしてるから。
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