ゴロー

親密さのゴローのレビュー・感想・評価

親密さ(2012年製作の映画)
4.0
「言葉とエンパシー」

舞台までの時間を追った前半と実際に「親密さ」という演劇本番を映す後半で構成される計255の大作。圧倒的なテキストと、しかしその一方での人間同士の決定的なすれ違い、それがフィクションとドキュメンタリーの境界を易々と超えてくるストーリーテリングで表現される。特に本作については、シンパシー(共感)の欠如が徹底的に描かれており、あれだけ言葉を紡いでもどこかヒリヒリした感覚がずっと続く。

本作で最も興味深かったのは、マクロな社会的要素として戦争を差し込んできたことだ。前半のパートでは時間の進行が表示され、我々はそれが2011年2月の出来事であると知る。これはてっきり作中のどこかで(濱口が「寝ても覚めても」でやったように)3/11が入ってくるものだと思った。しかし劇中で3/11が語られることはなく、代わりに朝鮮半島で戦争が勃発したという情報が提示される(正確には戦争が起こりうる危険なエスカレーション状態だろうか)。ここまで明示的にマクロな要素、しかも戦争を差し込んでくることには驚いたが、これが非常に効いている。なぜなら異国の戦争は作品のテーマであるエンパシーの問題にまさに関わるからである。韓国に兄家族がいる三木とそれ以外の人物の戦争の捉え方にそれは表れている。ここでもそれぞれの人物にとって何が大切なのか(いま目の前にあることなのか、異国の戦争なのか)決定的にすれ違う。そして、結局身内が巻き込まれているぐらいでないと、異国の戦争に当事者意識を持てないことも明らかとなる(ちなみにウクライナ戦争では確かに日本人は大きな関心を示しているが、同時に中東やアフリカでの戦争内戦にいかに無関心であったかを浮き彫りにした)

この戦争という補助的な仕掛けが、演劇という舞台装置を通して、あの見事なラストシーンに繋がる。人間のすれ違いを徹頭徹尾描きながら、最後にあのシーンを持ってくるのは、濱口のヒューマニスト的側面を表している。確かに言葉を紡いでも真に他人を理解することは難しい。しかしいつしか言葉は憑依し、共感への一歩を踏み出している。「言葉は、想像力を運ぶ電車です」とは、劇中のセリフだが、濱口映画に欠かせないテキストの重要性が本作に隠されている。
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