ゴロー

ボストン市庁舎のゴローのレビュー・感想・評価

ボストン市庁舎(2020年製作の映画)
4.0
<中央>と<周辺>という問題

4時間以上ボストンのあらゆる問題とそれへの取り組みを浴び続けるという稀有な映像体験。

論点は多岐に渡り、人それぞれ異なる着眼点を持つであろう。個人的には、民主主義における「中央」と「周辺」という観点から一つ論じることができるのではないだろうかと感じた。ここでいう中央と周辺は、例えば、国と州もしくは市、大都市と地方都市というような関係である(日本で言えば、典型的には東京もしくは国と地方都市)。この映画の舞台はボストンという市であるが、これはアメリカ合衆国(ワシントン)、マサチューセッツ州と比較したら周辺に位置付けられる。ボストン市長はトランプ政権下のワシントンの現状を嘆き批判していたが、周辺は常に中央の決定の影響下に晒される。

しかし興味深いのはボストン市という中にも中央と周辺という関係性が存在するということだ。ボストン市庁舎もしくは白人中心の高級住宅街を中央とすれば、貧困で人種的マイノリティが居住する地域が周辺である。この映画でおそらく最も長いシーンである大麻の店を設置するかどうかを巡る議論はその関係性を可視化させた。この非常にスリリングなシーンは、日本の原発や沖縄の基地、最近ではイージス・アショアの配備の問題を想起させる。中央は経済的、軍事的合理性を押し出すが、周辺からすれば何故我々がリスクを負わないといけないんだとなる。「周辺」を「周辺」として包摂しようとする以上この問題は解決しない。

こうした緊張関係を克服し、「妥協」を見出すために「対話」を試みることが描かれているわけだがそう簡単ではないだろう。民主主義は「誰を代表するか」という代表性と密接に関わっている以上、「分断」という問題は避けて通れない。中央と周辺はその分断の大きな境目で人種やジェンダーの問題もこの分断線に内包される。

この映画は現代社会の病理への一つのアプローチを提示しようとしたわけだが、これを絶賛するでも冷笑するでもなく、民主主義がいかなる装置になりうるのか自分なりに再考したい、そんな映画だった。
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