親密さの作品情報・感想・評価

親密さ2012年製作の映画)

上映日:2013年05月25日

製作国:

上映時間:255分

4.3

あらすじ

「親密さ」に投稿された感想・評価

最大の問題は、戦争やら暴力やら、展開される数々のモチーフが映画として有機的あるいは重層的に繋がっていかないことかな(『ハッピーアワー』や『ドライブ・マイ・カー』になると、このへんは乗り越えられてる)。エンディング見れただけでも気分としては5.0点あげたいところだけど、なかなかそうもいかない
Noob

Noobの感想・評価

3.7
途中の長回しとラストシーンクソ鳥肌立った。
演劇をフルでそのままやっちゃうっていうチャレンジ精神は本当にすごいと思ったけど、
断片的に同じことをやってるドライブマイカーやハッピーアワーと比べるとあまりうまくいってるとは思えなかった。
目を瞑ったほうが楽しめる映画。台詞ではなく説明。たまに詩。動く画はかえって邪魔に感じる。映画である必要はない。舞台でなら楽しめそ。舞台は視点転換無しで生で見るに限るということを再確認。まあそもそも劇中公開されることが前提なのでそれをあれこれ評価するのも監督にとっては酷なものだ。これがハッピーアワーに繋がってることを考えれば大いに満足できる。橋で延々と歩きながらぎこちないアフレコを被せてくるところは流石に席を立ちたくなったが。。
オープニング。ホームに滑り込み、乗客を吐き出す電車。階段を駆けあがり、発車間際に電車に乗り込む若い男女。女は息を弾ませながら、おそらくは恋人であろう相手を笑顔で見上げた。その美しい笑顔に、ぎゅっと心を持ってかれた。まさしく、その笑顔は「親密さ」にあふれていたから。
この映画は、最初から最後まで「親密さ」の在りようを丁寧に追いかけ、映し出す。恋人同士の、兄弟の、仲間同士の、さまざま関係のその時々に満ち引きする「親密さ」。
車窓に流れる空、徐々に開けていく夜、競うように並走しながらやがて分かれていく電車……。どれもが「親密さ」の表現を深める手立てになっていて、ただただ深く感動してしまった。
そして驚くのは、半分ドキュメンタリー的であることもあってか、後半の舞台の上演では、役者たちが本当に成長していてキラキラ輝いていたこと。自分が役者を演じ、その演じる役者がまた劇中劇で別の役を演じる。その入れ子状態から偶然に、または必然的に発出されるなにかが、私たち観る者を魅了するのだ。4時間超の時間をかけて、同時進行的にその現場に巻き込まれてしまった。
この体験はなんとも言葉にし難く、忘れがたい。
miku

mikuの感想・評価

-
「夜明けが好き。夜も好きだけど、夜明けがあるから好き。大切なものが受け渡されている気がする。」
「大切なものってなんですか?」
「君といる時間といない時間。」
夜のきっと一番暗い瞬間から、朝日がのぼるまでの二人が歩くさまを映したあの時間が本当に本当に好きだった。シルエットさえほとんど見えない真っ暗闇から現れる二人。そして、別の方向の電車に乗り込んだあの最後のショットが忘れられない。映画を見終わったその日の晩からずっとこの映画のことを考えているのでとても好きなんだと思う。
濱口竜介さんの映画は気づいたら心のやわらかいところをぞうきん絞りで締め付けるみたいなことになりがちですよね・・・
別次元。
ネット

ネットの感想・評価

4.5
見てよかった。
何かとんでもないことが起きていたような気がしたのに、映像で見るとそうでもない、という言葉が序盤にある。その言葉をこの映画は覆していく。
言葉で溢れている映画を最近よく見るのだけど、どれも全然信じられなかった。言葉だけが上滑りしていって、俳優の身体と言葉が乖離しているような印象を受けるものが多かった。でもこの映画の言葉たちはなぜかこちらに届く。届きやすい言葉なのか、俳優の声の問題なのか。ともかく、俳優が脚本に言わされている/身体を操られている感じがなかった。人が生きていた。これはナチュラリズムとかそういうことじゃない。『寝ても覚めても』の「だから謝らへん」のような言葉の届け方。
自分が今まで見ていた言葉の映画は、言葉を届ける気が無い/言葉をうまく届けられていない映画だったのだろう。言葉が上滑りしないようにするには、時間をかける必要があるのかもしれない。4時間という上映時間とか橋のシーンみたいに。
ただ、橋のシーンをどう受け止めていいのかはよくわからない。ここは俳優の身振りはさして重要じゃなく、ひたすら言葉だけが前景に浮かび上がる。映画において音と画面がズレていても問題ないのは当たり前で、このシーンは言葉と俳優の動きが合ってるかなんて全然わからない。俳優の身体と脚本という言葉さえあれば映画はできる、というのは同意だけど、橋のシーンは身体すら必要ないのだと言っているように見えた。
となるとやはりラストシーン、あれは俳優の躍動する身体が輝くのだけど、ここは言葉はさして重要ではない。ように見える。なんならすごく古典的に感じる。
じゃあ結局言葉と身体どっちが重要なの、という問いに対してこの映画が提示してるのは、どっちも重要だけど時間の方がもっと重要だということなのかもしれない。橋のシーンには、対立から和解へ向かう言葉たちの時間があり、歩きながら夜明けを共に迎える二人の俳優の時間があり、それを見続ける私たちの時間がある。二人が撮影現場で時間をかけて歩いたことが作り手にとって大事で、その記録を私たちが見聞きすることで、作り手が体感した時間を観客も体感することが大事なのかもしれない。

2019年という年は『寝ても覚めても』と『きみの鳥はうたえる』が公開された年として自分の中で記憶され続けるので、どうしても比較をしてしまう。ケータイのメールの内容が重要な濱口竜介。メールを打つ時の表情が重要な三宅唱。もちろん、文字の意味が無効化される画面もあるのだけれど。
自分の実人生に照らしてみると、自分はここで語られている問題以前のところにとどまっているなあと思ったり。自分の生きてる価値とか考えてしまうな。

カラックスとカーウァイのポストカードを壁に貼りまくってるのはなんかやだ。これは趣味の問題。
shikibu

shikibuの感想・評価

4.0
さすがに長いと思いつつも、登場人物とそのセリフを実在化しようともがく姿を思うとーそれは劇中で舞台稽古に励む作演のカップルの姿と重なるのだがー、必要な時間だったと、見終わった後は思えてくる。
プリンターから吐き出され、床に捨てられていった台本=テキストは、一度目は部屋の中で反芻され、二度目は稽古、ワークショップ、2人の会話を経た朝焼けのなか、橋を渡るシーンに重なる。二度の朗読とその間にあった描写をつなげると、テキストと演技、役者と演出家の信頼関係、恋人関係、戦争に対する意識のすれ違いなど、テーマが散乱されるー狙ってるようにも思えるがー前半パートは、テキストをどう読んでいくか、どう血肉と化すか苦心する姿にも思えてくる。
劇中で稽古せずにインタビューや講義を続ける演出家に?マークを浮かべる役者のように、観ている自分もなってしまったが、それを経た後半の演劇パートはすごぶる面白かった。
前半でヒロインがなんで映像にすると稽古の時の感覚が再現できないんだ、とぼやくシーンがあるが、まさしく生で演劇を見てるときの役者の声と肉体が立体化されていく感触が後半で現出されてて驚く。
何がここまで肉体とセリフを実在化せしめてるのか。
単純にドラマ性が付与されて見やすくなったこともあるが、それだけか。
たとえば役者2人が客席を向いたまま、会話を続けてるさまを、正面カットで繋いでいく見せ方は、実在化にいくばくかの貢献をしているかのようにも思える。ただそれだけで成立してるのかと言うとそうではない。
前半2時間を含めて、彼ら(劇中劇の登場人物)が実在する人物ではない=役者であること、さらにメタ視点で見ると役者という役を演じてるということ、その二重性が、表向きの自分と内側の自分という二重性を帯びた劇中劇のテーマとリンクすることが、観客を積極的に作劇の解釈へと誘っている。しかし、それだけでもないように思える。
実在化に一番貢献してるのは、この舞台の空間を、そこにいる役者を、照明の当たらない人もふくめ、その動きを丁寧に切り取っていることだと思う。特に階段を使った役者の導線設計、これしかないと思わせるアングルは、見事としか言えない。
そして、ここまで技巧にこだわった舞台劇(の上演映像)を見せながら、終盤は並走する別々の電車内で走りながらお互いが投げキッスをする男女という、言葉を交わさない、映画の原初的な運動に賭けてるのに心打たれた。やがてその運動が終わり、電車が別々の道を行くラストカットをみながら、前半二度読まれた詩が、心の中で繰り返された。
ゆき

ゆきの感想・評価

4.1
密度。

舞台劇「親密さ」の上演に向けた過程を見る前半、舞台劇「親密さ」の上演記録を見る後半。
あくまで見ているのは「生活」と「制作」のほんのひと時。
たくさん詰め込まれた言葉を噛みしめる余韻まで含めたら、いつまでたっても消化できていない。
生意気にも、軸となる二人の演技は映像作品的ではないと違和感を覚えた。しかし二人が向き合おうとするほど、二人に魅せられていく。不思議な魅力だった。
弱みを見せる強さ、まさにピンポイントで刺さる。信用して任せるって難しいのだ。
詩による虚構。夜の灯りによる虚構。壁を作って現実から目を背けるのは簡単だ。だけど愛されたいなら愛さないと、
印象的なシーンがいくつかあるけれど、ラストシーンが好きすぎる。
「変わらないと一緒に居られないから」
ーーー
上京したての頃、ポレポレ東中野で観て以来、8年ぶり?の再鑑賞。
構成の衝撃と「東京」で映画を見るわくわく感を思い返しつつ、だいぶ感覚が変わっていることにも気づく。
映像作品は見たときの自分の感度に左右されるから面白い。
×××
新作舞台の上演を控えた二人。共に演出家であり演者でありながら恋人同士でもる。二人の方向性の違いは徐々に露わになる。
マ

マの感想・評価

4.5
最も言葉を恐れている濱口竜介が、これほど膨大な言葉を扱うこと自体に救われている気がする。
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