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ハンナ・アーレントのMSTYのネタバレレビュー・内容・結末

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ドイツ出身の政治哲学者ハンナ・アーレントの思想と生活を描いた作品で、ナチスドイツにおける全体主義の考察や、彼女の提示した「悪」の概念に関する彼女自身の考察の過程が中心に据えられています。アーレントの著作で言えば、『全体主義の起源』や『イェルサレムのアイヒマン』(アドルフ・アイヒマンの裁判のレポート)といった本の内容が、この映画の内容と合致するかと思います。

圧巻なのは、最後の、アーレントによる教室での講義シーンです。

雑誌『ニューヨーカー』に連載されたアイヒマン・レポートは、ユダヤ人批判だと誤解されやすい内容であったために大きな反響を呼び起こしました(その多くはアーレントを非難・中傷する内容です)。そうした状況の中で彼女が行った講義は、冷静でありながらも、熱のある、印象的なものでした。

講義の中ででアーレントは次のように語ります。「ソクラテスやプラトン以来私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね」。

アーレントは、人間であることを拒絶する(=思考をやめる)ことで引き起こされる悪の性質を、「悪の凡庸さ(the banality of evil)」と呼びました。そして彼女は、アイヒマンはどこにでもいるような凡庸な存在であると言い、そのような凡庸な人間が大きな悪事を働いたという事実から敷衍して、誰もが悪事を行う可能性があるのだということを示唆したのです。

アイヒマンの思考停止は巨大な悪事を生み出しました。それゆえに、映画の中のアーレントは彼の悪事を「許す」つもりはないと述べています。しかし、それと同時に哲学者としての彼女は、同じようなことが起こらないようにするために、アイヒマンの思考停止と悪との関係をきっちりと示すことが重要だと考えました。だからこそ、彼女はアイヒマンがなぜこのような行動を起こしたのかを理解しようと試みたのでしょうし、それを理解しなければならないという責任も感じていたのだと思います。思考を武器に戦うアーレントの姿に、大きな敬意を覚えました。
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