kou

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのkouのレビュー・感想・評価

5.0
ある種の決められた日常、何度となく繰り返されてきた日常のルーティン。1日目の様子は何一つ無駄のない、それでいて丁寧に積み重ねる日常をワンシーンワンカットで見せる。ある主婦の、ある一日。それだけでもここまで豊かに見せることに驚かされるのだが、その日常の中に売春があることで、不穏な空気に包まれる。

2日目、ベッドメイキングから始まる彼女の日常は、やはり無駄のなく、日々の家事をこなしていく。時に赤ん坊を預かり、食事を作り、売春をするのだ。しかしここで少し彼女の日常が崩れていく。ジャガイモを茹でるのに失敗し、買いなおすことになるのだ。ジャガイモの皮をむくときの無気力さは不安な気持ちにさせる。何かが崩れる前兆を見る。息子は露骨に性的な話をする。この辺りもとても重要な部分だと思う。

3日目、靴を磨く道具を落としたり、洗った後のフォークを落としてしまう。作り置きしたコーヒーは淹れなおしても味がおかしく、カフェの常に座る席は老婆が座っている。預かった子供は泣き叫ぶ。家事の合間に度々座っては、何をするでもなくどこか一点を見つめている。電気のスイッチを、1日目では部屋を出るときに切っていた彼女が、3日目では消し忘れている。そして、崩れかけていた日常が完全に崩れるのだ。

今作はフェミニズムに関する映画だという。ある主婦の日常。それは正直、目にも留めていない、取るに足らない日常である。しかし、その日常があるからこその生活がある。にもかかわらず男性の目線の先は何か。女性へ求める者は性欲の捌け口でしかない。それは、まだ幼い息子の興味ですら。

彼女の存在している意味すら、軽んじられていく。それは見ている我々自身にも言えることで、今作でみている序盤の彼女の生活は、今作を見なければ目を向けることさえなかったかもしれない。どこにも行き場のない、存在価値すら見いだせない、それでも続く生活の苦しさは、地獄と呼ぶにも生ぬるいかもしれない。恐ろしい映画であると同時に、人間についての映画であると思う。ハードすぎる内容とそれに不釣り合いな淡々とした語り口に、またどこか陰鬱とした気分となる。もう暫くは見る勇気のない映画であるが、一生忘れることのできない作品であることに間違いなかった。素晴らしかった。
kou

kou