パイルD3

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのパイルD3のレビュー・感想・評価

5.0
アキ・カウリスマキの「枯れ葉」を観て、登場人物たちの無表情から、今年観た映画の中で、最も冷たいインパクトとフェミニズムの重い衝撃を感じた『ジャンヌ・ディエルマン〜』を思い出した。

この作品の主人公も、極めつけの無表情、
いつも視線は低い位置に置かれて、俯きがちだ。
ひとりの主婦であり、母親であり、女であり、生活者である人物の、日々の何でもない行動や仕草の繰り返しがドラマを作り上げているという、かつて観たことのないタイプの作品だった。
かと言ってドキュメンタリーではなく、人のルーティンの破綻に至るプロセスが描かれる。
 
3時間20分の長尺はすごいボリュームかと思いきや、予測に反してドラマの動きは薄めで、観終えてみると刻み込まれた生活風景の深さと苦味に包まれる作品と言えばいいか…。

まだ色香の残る中年女性ジャンヌと学生らしきその息子の住むアパートを舞台に、変化に乏しい日常が繰り返されて、その凡庸とも思える私生活空間をクールに切り取り続ける。

何故この家には父親がいないのか?とか、息子の学費のためだとは思われるが、何故生活費を稼ぐのにその手段を選択したのか?とか、長時間を擁する流れの中でありながらも、そんな事情は一切説明されない。

最初に“冷たいインパクト“と書いたのは、そんな過去の経過や説明はなく、主人公のリアルタイムの動きしか見せず、彼女の3日間という時間が淡々と過ぎ去る、いかにも静脈度の高い部分だ。

タイトルは、何処どこに住む誰々という、人物の所在を表すもので、これは1人の女性の存在認知を見せるドラマだというサインになっている。

最近、特に今年はプライベートな枠で展開する家族や親子や、友人同士、あらゆるカップルといった小ユニットをドラマにした映画が多数公開される中で、これは数十年前の古い作品であり、異色な映画でありながらも、時代にすんなり馴染んで多くの客を集めるのがすごい。しかも客を釘付けにするほどのストーリーのイベント性は無い。

 ただ終幕の展開は、メッセージ性が高く、先見力の強い作品であったことがわかる。当時、弱冠25歳とはいえど監督の視点の鋭さを知らされる。
今、公開されることには大きな意味がある。
時代も歴史も大きく変わってきたということだと思う。
パイルD3

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