とらも

プリズナーのとらものネタバレレビュー・内容・結末

プリズナー(2007年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

映画としては何の意外性もなくとろとろ進むのでちょっと苦手なタイプ。
キリスト教映画としてもみれるような。
でも本命はあるべき司法制度の形を提示する映画。


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以下テーマに関する雑感。
司法制度というのは被害者からすれば冷酷な壁として立ちはだかるのかもしれない。容疑者は推定無罪の原則の元に弁護士がつけられ黙秘する権利もある。裁判は何年もかかった上に約束されるのは懲役何年やら死刑などの罰だけだ。国家は被害者に犯人の反省やら元の生活を約束したりはしない。

国家と加害者の間での応報刑の枠組みの元では被害者がどうしても排除されてしまうのは原理的に仕方がない。そこで司法の「正義」を異なる枠組みで作り出そうという動きがある。コミュニティでの被害者と加害者の関係を修復することが正義だと考える新たな枠組みである。これを修復的正義と呼ぶ、らしい。

この映画はその修復的正義の一つの成功例を描く。プロパガンダ映画なのだが、一応この考え方が孕んでいると思われる問題点も示されてるように見えた。

極めてキリスト教的な世界観が基盤にあるようで罪に対する赦しを被害者が行いその赦しを受けた加害者が真摯な反省に至るという図式を理想形としている。被害者に求められる高潔さはちょっと非現実的に思われる。確かに赦しによって被害者は加害者よりも倫理的な優位性に立ち傷つけられた自己が癒えるきっかけとなりうるのだろうけどその境地に達するためにはどれほどのものを乗り越えなければならないのか。
また話し合いをしたからといってお互いへの理解が進み、赦しや反省へとつながる保証はどこにもないようにみえる。加害者が酷いことを発言し被害者がさらに傷を負うことだってあるだろう。話し合いで確実に被害者優位の状況が作り出せるものだろうか?なんかうまい仕組みがあるのかな

ただそれでも、国家と加害者の枠組みで漏れる部分に目を向けているのは確かで、ここまで赦しをベースにした対話が正解なのかはよくわからないが、加害者と被害者の間の安全なチャンネルが確保され具体的なコミュニティの中で被害者の傷や加害者の欠陥が修復されるようなシステムづくりは必須なんじゃないか、とは思った。
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