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愛の渦のotomisanのレビュー・感想・評価

愛の渦(2013年製作の映画)
4.0
 世渡りが下手そうに池松が俯いている。それが何故か乱交パーティー会場を目指しているのが、いかにも事件の兆しを感じさせる。乱交だから誰相手でもいかせる自信がなければ出かけられまい。そんな場所に職なし多分取り柄なしの「俯き君」池松が、やっと届いた親からの仕送り2万円を掴んで5時間で延べ何人いかせるかに自身を賭けるのだ。もっとも会が終わって何かをもって勝ちと言えるんだろうか?全員からの称賛と「俯き君」にまつわる伝説がこの晩から繙かれる事になるんだろうか?

 向かった先の会場マンションは俄成金が夜逃げしたてという感じ、豪華あっけらかんとした広間に客の男女4+4、アルコールなし、階下ベッドルームも元賭博場かなんかか?大部屋に大ベッドを田の字に配して現代版の若者宿風、隣近所の行いが筒抜け丸見え、ちょっかい出し放題の刺激フル。
 最近の摘発事例によると、毎回男20~60人に女は数人、しかも、商売人を偽って動員してくるというものさえあったそうで、小ホテルを貸し切り、女が籠ってる個室の前で男がぞろぞろ準備に余念なく行列を作っているという、ソープの花びら大回転の逆ではないか。乱交を咎める法が何か知らんが、この場合サギだけは間違いあるまいが、行列に向かって何の乱れを問うのだろう。

 そんな事を思えば、今回は4男+4女=2人×4架で定員丁度と、これから8人間に起こる事には主催者に非違の余地なしと主張している。しかしこのメンツ、まず、鬱々とした俯き君、乱交を承知の初筆おろし「書初め君」、週5で乱交な女怪、さらに門脇麦が似合う女子大学にいながら上流子女の気取った交流の虚飾を難じ、群れを去って性事の深みで溺れてみたい?麦風な娘の2男2女が混じっていてどんな混成多重唱となるだろう。
 誰もがその中で独唱を務めるなら池松と麦であると想像するだろうし、予想通り池松は麦への執着を気遣う言葉を投げる事で曝してしまうが、明日なき池松にとって麦への想いの芽生えが望むべきところだったろうか、あるいは今夜の4冠を互いに祝い労って明日はクニに帰える覚悟を固めたかったかもしれない。間もなく池松以上の頓珍漢たちが途中参加しては御出て行ってと、すべてはうやむやに流れてしまう。そして、この晩のMVPもまた穴馬「俯き君」ではなく、4戦一貫週5の女怪と共にして、最終戦で遂に彼女ヲシテ轟沈セ使メタ「書初め君」に決するのであった。

 しかし、夜が明けてみるとこうした意外の成り行きや、麦もまた池松をこころの埋め草に再び求めた事も全て意味を成さない風音のようにも思えてくるのである。恋愛など重荷であろうに俯き君のそれでも言葉で麦に絡み縋るのを、麦が斬り払い振り捨ててしまうものの、その麦的内実は正体不明な消化不良の収まらないままに違いない。
 互いに無名氏、相手が4人なら四たび試みるだけの5時間のはずが、生きるのもその5時間限りのような男ひとりに費やし、最後、麦自らがその男を選んでしまったのである。
 この二人が再び会う事があるだろうか?機会は作ればいくらでもある。ではそんな機会を俯き君ならどんな風に作れるだろう。それを想像する先のできごとの暗さに驚きはあるまい。だから、誰も想像しない。ただ、東急電車に揺られて行けるところで無事降りてくれと見送るほかはないのだ。
 俯き、直視を拒んだ池松が報道で顔写真が掲載されても麦にはそれが誰の顔か判断できるだろうか?そして、こころに触れる言葉の一つも受け取ったわけでもなく、心遣いを暗に表した貧しいさみしい男ひとりにさえ心を許せなかった事を永遠の消化不良として抱え続けるのかもしれない。
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