「インターステラー」を観ました。
難解と言われている作品らしい。
五次元世界を理解するのに戸惑います。時間を物理的に操作できる次元。
時間となると「?」ですが、「時間=記憶」なのかなと推測しました。
もしくは、三次元のクーパーが体験できる限界値が、記憶までだということなのかもしれません。
少なくとも五次元人がクーパーに与えたあの空間はそうなのかな。
記憶といっても、見えたのはあの部屋だけみたいなので、「空間の記憶」ということなのでしょうか。
ドラえもんのタイムマシンみたいに好きな時代の好きなの場所へ行けるわけではなく。自分の記憶の場所にしかアクセスできない。
それが本棚の裏として表現したのかなあ。
でもそうなると、我々は未来の記憶もあるってことになるますね?
「認識できる自分」は、常に一瞬しかなく、記憶だけが毎瞬毎瞬肉体を渡り歩いているってことかな。
「肉体」は時間に縛られるけど、記憶は跳べるますし。
うーん。解釈にだいぶ惑います。
でもとてもいい映画でした。
SFでありながら、愛を惜しみなく伝える映画だった。
もしかしたら「愛」をも物理的に定義できると言いたいのかもしれない。
そうだったらいっそ素敵ね。「愛」を質量として定義できるなら、「疑心暗鬼」なんて言葉は世界からなくなるってことですね。