このレビューはネタバレを含みます
オッペンハイマー見に行ってきた。
よくも悪くも「アメリカ映画」だなという印象。
偏見かもしれないけど、アメリカ映画って「答えが用意された映画」という感覚。
「答え」を1つにしぼって、見る人の焦点が「そこ」に合うように誘導していくというか。
かつ、その焦点が「個人」として描かれることが多い。
タイトルも個人名になってることがわりとあるから、そういうのが「受ける」んだろうなって思った。
ヨーロッパ辺りの映画は、わりと群像劇が多いというか、見る人によって評価がだいぶ変わる映画が多いなって印象。
ただの印象です。
でも普通に考えて、あの規模の功罪を「個人」におとしこむのも無理ありすぎない?とは思った。
例え扇動したにせよ、呵責を覚えてるのがオッペンハイマー一人だけっていう捉え方もどうかなって。
そこはいろいろ端折ったにせよ。
彼は仕事をしただけなんだよなぁ。
話変わるけど、日本人としては言っちゃいけないかもしれないですがいう。
ロスアラモスを作る時に、友人が「物理学の300年の集大成が~」っていうくだりがあるじゃないですか。
あれナンセンスだなって思った。
「物理学の探求がこれか」って問われたら「そうだが?」としか言いようがない。
だってその先の「被害」はオッペンハイマーが責を問われることじゃないじゃない。
わかってる。
日本人が言っちゃいけないことだってのはわかってる。
トリニティ実験のくだりは、泣いた。確かに。
テラーがにやって笑うところも憤った。
それはそうなんだけど、それでもあえて言う。
大統領も言ってたけど、道徳観や生命や被害者云々の功罪は政治の話であって、探求者が責められるいわれはないっていうか。
以前「Winny」っていう映画を見たんですが、それと同じかなって。
「ナイフで刺された人がいる。でも、そのナイフを作った人を罪に問えるのか?」っていうやつです。
案の定、そこの苦悩の描き方が弱かった気がする。
本人への糾弾(ストーリーとしてのアンチテーゼ)は、本編のテーマとは関係ない「赤狩り」や「私怨」で描かれてたから、見てる人は混乱する。私はした。
苦悩はわかるんだけどね。
でもその「苦悩」を顕在化に使用したのが、「赤狩り」と「私怨」っていう全然原爆とはつながらないものすり替わっちゃったので、ストーリーとしてぼやけちゃった感があった。
時系列が差し込まれるのは気にならなかった。
カラーとモノクロの使い方が印象的。