くまちゃん

劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-(2013年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

社会人は常に仕事や家庭に振り回され、理想と現実の齟齬に悩み続ける。
理想を優先させれば非常識だと淘汰され、現実を優先させれば夢がない、目標がない、やる気がないと思われる。

何事にもそのバランスが重要であり、それらはヒーローであってもなんら変わらない。

今作は戦力外通告を受けたベテランヒーロー鏑木・T・虎徹を通し、他者の抱える苦悩や葛藤が浮き彫りになっていく。
その過程で、一番なハッピーに思われたファイヤーエンブレムが自身が抱える深い闇と対峙する。
自分は自分であるという単純で難解な、それこそ「リニアブルーを聴きながら」に沿ったようなテーマを持つ。

ファイヤーエンブレムは俗に「オネエ」や「オカマ」等と呼称される。サブカルチャーに於いても同性愛者はマッチョイズムとフェミニズムを掛け合わせた一種のアイコンとして数多くのキャラクターが誕生してきた。

だが、現実世界での同性愛者は、時代の変化と共に市民権を得たといってもまだまだ肩身が狭い。
偏見や差別、迫害の的にされる。
宗教や法律により同性愛は禁忌とされる国は依然多い状況である。

シリーズを通して、ステレオタイプな「オネエ」として描かれていたファイヤーエンブレム。
ロックバイソンの臀部を触り、バーナビーをハンサムと呼び、いざという時に場をまとめる独特の包容力を持つ。
他人の相談に乗ることも多々ある。

常に明るいファイヤーエンブレムには辛い過去があった。
同性愛者を理由に、友人からも両親からも拒絶されたのだ。
乗り越えた修羅場と苦悩の累積が彼女の人間性を構築している。

男にも女にもなれない腰抜けとジョニー・ウォンは評す。

男のように強く、女のように優しく温かい人は他にいないとドラゴンキッドは反論する。

男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強。

乗り越えなくてもいい。過去を受け入れ、自身を受け入れ、他人を受け入れる。今のファイヤーエンブレムに敵はいない。なぜならオカマだから。なぜなら最強だから。

ちなみに復活を遂げたファイヤーエンブレムが無双しないのも良い。
心は燃えているが、病み上がりでしっかり弱っている。
最後はファイヤーエンブレム、ブルーローズ、ドラゴンキッドの3人でキメる。
それによってブルーローズとドラゴンキッドが噛ませ犬にならずにすんでいる。

黒幕ヴィルギルの犯行動機は半沢直樹と酷似している。公開時期を考えても影響を受けたのは間違いないだろう。
欧風なシュテルンビルドに町工場という設定は安易に思えるが…。
復讐に燃えるヴィルギルと、過去に同じような境遇に立っていたバーナビーが対比され、2人の立場は紙一重でありバーナビーが闇に落ちる可能性もあったことを示している。
人を変え、善にも悪にも導くのは出会いと環境だということだ。

ライアンの存在は圧倒的だ。
バーナビーとは違う意味で今どきっぽい軽妙さがあり、不真面目のようで、全体を俯瞰で見れる理知的な面がある。
重力を操る能力と傲岸不遜なライアンの性格が絶妙にマッチしている。
それが王たる所以であり、中村悠一がうつけな王族を見事に演じていた。

クライマックスの戦闘場面は、当時のアニメーションの底力を見せられた気がする。
スピード感のあるアクション、臨場感を盛り上げるカメラワーク、ヴィランの無機質でおどろおどろしいディティール。
瞬きを忘れるほどの迫力に圧倒され、これまでの集大成を提示された我々観客は、口を噤んで静かに涙を流す他あるまい。

これほど楽しく格好良く、センセーショナルで琴線に触れるヒーローアニメがあっただろうか。

たった1分で形勢を覆すチートな力技。
タイガー&バニーのコンビと同じくとてつもないパワーを持ち、ライアンのように強い重力を放つ今作は、もっと評価されてしかるべきではないか。
くまちゃん

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