くまちゃん

名探偵コナン vs. 怪盗キッドのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

なぜこのタイミングで「名探偵コナンvs怪盗キッド」と銘打たれた総集編が公開されるのか?
「緋色の弾丸」に先駆けて公開された「緋色の不在証明」は総集編でありながら12億円という興行成績を記録し話題となった。それに味を占め、翌年には「本庁の刑事恋物語」が金曜ロードショーで放送され、さらにその翌年は「灰原哀物語」が劇場公開された。それぞれ新作映画に縁のあるエピソードを切り取っている。しかし今作に至ってはほぼ新作は無関係である。コナンと怪盗キッドの対立構造に焦点が当たっている内容ならば今作は妥当と言えるだろうがそうではない。「100万ドルの五稜郭」は服部平次と怪盗キッドの対決でもある。また昨今のコナンは怪盗キッドと親友とも呼べるバディ感があり、二人の対立は鳴りを潜め、怪盗キッドの出演映画は必ず怪盗キッド以外に悪役がセッテイングされている。
つまり「100万ドルの五稜郭」で総集編を制作するのであれば怪盗キッドと服部平次、それぞれのエピソードを盛り込むか、平次がポンコツと化した二人の対決を入れるべきではないだろうか。

冒頭はコナンと怪盗キッドの邂逅から始まる。ここで怪盗キッドは怪盗と探偵の関係性を芸術家と批評家に喩える。これはギルバート・ケイス・チェスタートンが上梓した「ブラウン神父の童心」内での一遍「青い十字架」にてヴァランタンが発したセリフが元となっている。
怪盗キッドの知的でキザなセリフ回しは追い詰めたと安心しきったコナンと警察を嘲るように消えて見せるその瞬間だからこそ意味を持つ。巨匠にしてやるとするコナンのセリフも怪盗キッドと対峙してこそ生きた言葉となる。心に刺さるセリフとは文脈を無視して使用するべきではない。二人の関係性を象徴する洒落た言葉をいきなり突きつけてもそれはただ格好つけてるだけで言葉の深みは半減する。ラストの工藤優作と黒羽盗一のやりとりも然り。今作において一番キザぶってるのは怪盗キッドでも工藤新一でもなく編集や演出そのものだ。

鈴木財閥の所有するビッグジュエル、ブラックスターを狙う怪盗キッド。その身をを案ずるのは側近寺井幸之助。この時怪盗キッドは警視庁捜査一課の助っ人として加わった高校生探偵によって苦戦を強いられた時計塔のヤマを回顧する。
この場面は今作では始めと終わりに配されているが、その間に怪盗キッドの空中歩行の話が入るため時系列がバラバラ。
そもそも空中歩行をあえて選択したのは寺井や紅子といった協力者の存在が示唆されるといった理由だけのような気がする。 

黒羽快斗と寺井幸之助。この二人の関係は奇妙に縁深い。寺井は初代怪盗キッド、黒羽盗一に長年仕え今ではその遺児快斗に忠義を尽くす。寺井を演じるのは肝付兼太。かつて国民的な声の一人として愛されたベテランである。肝付兼太は山口勝平の師匠でもあり「かっぺい」の名付け親でもある。田舎っぺからとったそうだ。師弟である二人の掛け合いはファン垂涎の名シーンと言えるだろう。
また、肝付兼太や石塚運昇、永井一郎等、鬼籍に入られた出演者が多く時の流れを残酷なまでに突きつけられた。

決して総集編が悪い訳では無いが、20年以上続く長寿アニメの膨大なアーカイブから1時間半にまとめるならもっと慎重に取捨選択し、総集編込みで劇場版のテーマを決めるといった逆算も必要となるのではないだろうか。
くまちゃん

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