くまちゃん

ある閉ざされた雪の山荘でのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ある閉ざされた雪の山荘で(2024年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

作中、一人一冊ずつアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」が配布される。それはこれから起きる事件を暗示しているかのようだ。舞台はとある貸別荘。クローズドサークルの王道。観客は期待する。ここで起きる惨劇を。事件を。推理ショーを。だがその期待は軽く足蹴にされる。中盤までは冗長で平凡で退屈。劇団内の人間関係に焦点を当てるが久我目線ではちょっと鼻につく自意識過剰集団に観客のストレス値が上昇する。かろうじてここまでの場面を牽引しているのが岡山天音の怪演と大塚明夫の重厚感。
中盤から終盤にかけては少しずつ人が消えたり血痕が見つかったり事件性が出てくるも、大御所演出家東郷の指示に不自然なほど頑なに従う本多の進言により警察への通報はせず、オーディションも降りないという無駄なプロ意識。この判断が緊張感を緩ませる。本来助けを求めているのに助けを呼べない状況だから緊迫感が生まれる。彼らは助けを求めていない。なぜならこれはオーディションだから。謎解き場面に関して、犯人の炙り出しにカメラで盗撮するというのは、現実的だが誰にでも思いつく手であるため感心はできない。惨劇は?事件は??推理ショーは???
本格ミステリー好きが鑑賞したらかなり肩透かしを食らうのではないか。それほど先の展開が気にならなかった。コナンのアニメオリジナルストーリーを見てた方が胸が高鳴る。終盤は森川葵の熱演に離別していた緊張感が一気に引き戻されるのを感じた。久我は言っていた。オーディションでは頭2つ抜きん出ていたと。その評価に違わぬ圧倒的熱量。森川葵演ずる麻倉雅美は事故で下半身不随となり後半しか出番がない。それでいて全編通し麻倉の陰が終始ちらつく。ヒッチコックの「レベッカ」というと大げさかもしれないが、時として人は存在しているよりも不在のほうが存在感を発揮する場合がある。想像力や好奇心が常に周囲の脳を刺激するからだ。それでいて少しの出番であれほどのパワーを押し付けられたら嫌でも気にせざるをえなくなる。彼女は誰よりも主役然としていた。

笠原温子には枕営業の疑惑がある。演出家である東郷と肉体関係を持つことで役を貰っているのではないかと。雅美に指摘された際は由梨江達に寝ていないと否定したものの貴子とのやりとりではそれを肯定していた。貴子自身、決まっていた役が直前に温子に変更になった事に疑念を持っていた。枕営業ならば辻褄は合う。いや、だがしかし、観客は思うだろう。

大塚明夫がそんな事するはずがない。

そうだ。「声優魂」で冷静さと客観性を備えた厳格な役者論を唱えた大塚明夫が枕営業に応じるわけがない。激渋明夫ボイスが道を外れるわけがない。大御所演出家東郷を演じるのが大塚明夫である限り、笠原温子の虚言疑惑は払拭できない。

麻倉と本多はオーディション時の久我を覚えていたというが、結局久我の何がそこまで印象に残ったのかは不明のままだった。
さらに劇団水滸のメンバーは現地まで目隠ししバス移動だったのに対し、先に現着していた久我はどうやって現場入りしたのかはそれもわからない。久我も目隠ししてきたのだろうか。
久我和幸という最も平凡で魅力に欠ける主人公に大きな謎が残る。

今作はもしかしたら刊行された90年代前半を舞台とした方がその魅力を存分に発揮できたのではないだろうか。
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