くまちゃん

名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

服部平次は、高校生ながらその卓越した観察眼と明晰な推理力で数々の難事件を解決に導いてきた。また剣道の腕も立ち、猛者揃いで知られる大阪府警の面々を一刀のもとに打ち負かせるほど高い戦闘力を誇る。工藤新一とは「西の服部、東の工藤」と比肩され、良きライバルでありながら、親友であり、理解者でもある。名探偵コナン史の中で身内の死というものは滅多に描かれない。殉職した赤井秀一が生き返った事からもその法則は理解できる。そんな悲劇はコナンファンは求めておらず、青山剛昌も描きたくはない。これは少年誌なのだ。しかし、唯一死んだ者がいる。

服部平次。

彼は今も定期的に原作にTVアニメに劇場版に出演し続けているが、精神的には死亡したものと同等に扱って構わないだろう。
平次は男に絡まれた和葉を庇い「俺の和葉」発言をした時はまだ純情さがあった。あのままいけば新一と蘭のような不器用ながらもプラトニックなロマンスを演ずることもできたはずた。では件の服部少年はいつ死んだのか?
それは新一がイギリスのビッグベン前で蘭に告白し、京都清水寺で承諾の返事をもらうというドラマティックでロマンティックな恋愛模様を聞かされた時にほかならない。
それ以降、平次は和葉との接吻を想像しながら欲情し、和葉の唇を奪う事、新一を超えるシチュエーションで告白を成功させることにその頭脳をフル回転させている。以前、互いの父親平蔵と銀次を引き合いに出し和葉への気持ちを子分と思っていると言っていた鈍感な少年は誰も求めぬ形で着実に大人への階段を昇っている。少年誌における性欲の発露。

かつて平次はクールな新一の対局に位置していた。道を踏み外した警察官に、日本で唯一拳銃の携帯を許可されている事をなぜ誇りに思わないのだと熱く叱咤し、崖から落ちた和葉の手を把持しながら手を離したら殺すと暴力的で野蛮的、しかし愛溢れる言葉で彼女の自己犠牲精神を取り払った。あの頃の服部平次はもういない。熱血少年服部平次は死去せり。

また、平次が腑抜けた童貞キャラへと没落を転じた原因は決して新一と蘭の関係性が進展しただけが理由ではない。新キャラ大岡紅葉の登場である。淑やかな京都弁で男性を籠絡し、大半のことは財力で解決を図るヒロインのライバル。彼女の恋愛脳は豊満な乳房を押し当て平次を誘惑する。ステレオタイプでありながら保守的なコナンの中では珍しい蠱惑的キャラクターである。
平次、和葉、紅葉の三角関係は古き良き少年漫画らしい趣向でもある。もともとサンデーといえば高橋留美子やあだち充に代表されるラブコメトライアングルの土壌がある。平次はあたるであり乱馬であり達也なのだ。

以前、怪盗キッドは和葉に変装したことがある。コナン、平次に加え、長野県警の切れ者諸伏警部が同行しているにも関わらずその身内を装うとは大胆不敵を通り越して無謀に思えた。だが、キッドにはそこを選択する論拠がある。
平次の和葉に対する童貞的反応を見て、その抑圧された情欲に気づいたのだ。キッドはそこを利用することにした。ノリノリで胸を押し当て、必要以上のボディタッチと和葉らしからぬぶりっ子に平次は骨を抜かれたも同然となる。その違和感にコナンも諸伏も気がついたが平次は頬を赤らめて気づかない。そのポンコツぶりは怪盗キッドにちょろいと言わしめた。おまけに和葉に変装したキッドに接吻をせまるという痴態まで晒している。
今作はそんな服部平次のリベンジマッチである。

そして、服部平次は見事に復活を遂げた。

恋愛偏差値の低い服部平次が、探偵と恋する高校生を両立できたのは監督を務めた永岡智佳と脚本を手掛けた作家大倉崇裕の功績が大きい。
永岡智佳は「から紅の恋歌」で助監督として参加した後「紺青の拳」「緋色の弾丸」と2作続けて監督した。「紺青の拳」はミステリー要素は皆無だったが、京極真と園子の恋愛模様は甘酸っぱく青春的情緒が豊かだった。「緋色の弾丸」は恋愛要素のない男臭い内容でありながら、コナンと灰原の夫婦感強めの信頼関係は他作以上に注目された。こと男女という部分に関しては女性ならではの視点は重要なのだ。そして「から紅の恋歌」「紺青の拳」で脚本を書いたのが大倉崇裕である。二人が携わった作品の中で今作は特に恋愛、ミステリー、アクションの調和がとれた秀作と言える。大倉崇裕はミステリー作家だ。その実力は十分発揮され、コナンによる謎解きは久しぶりにファンの心を躍らせた。

平次といえば舞台は関西になるのが通例だが、意外にも今回は北海道。さらに剣道の難敵沖田総司も登場する。その中で題材となるのが土方歳三に纏わる刀だというのだから奇妙千番。新選組を元にしたキャラクターと歴史上の新選組が同居する世界。沖田はさぞ幼少の頃よりイジられた事だろう。
また、今作には「YAIBA」のライバル鬼丸猛が顔見世程度に登場している。鬼丸がコナンに登場したのは剣道大会の回。その時点で全日本2連覇を達成していた。声は津田健次郎。放送された2018年と現在では津田健次郎の置かれた状況がまるっきり変わってしまった。土方歳三に津田を使いたいからついでに鬼丸を出したのか、鬼丸を出演させるにあたって、今一般的認知度が急上昇中の津田を土方歳三にも起用しようと思ったのか。
ただ沖田は鬼丸を強そうなやつがいたから連れてきたと言っていたが、平次や沖田が日本一の実力を持つ鬼丸を知らないなどあり得るのだろうか?

予告編では平次がキッドのシルクハットのツバを裂いたことでキッドの顔が暴露されかけていた。キャッチコピーはこうだ。「今明かされるキッドの真実」。しかし我々は知っている。「銀翼の奇術師」以降、キッドの顔は新一と類似している事実が公式に認められたことを。つまり、顔が曝されても動揺を誘うため別人である新一の顔を拝借したという論理が成り立つのである。キッドは同じ相手には変装しない。しかし新一には成りすぎた。本人もその類似性に依存している。新一という逃げ道がある以上、キッドの正体でサスペンスを引き伸ばすのはもはや難しく、予告編を見ただけで「キッドの真実」=「キッドの正体」でない事は明白だ。では制作側がネタバレ厳禁として試写会すら行わないほどの情報統制を敷いたその「真実」とはなんなのか?

それは想像の斜め上を行くものだった。

黒羽快斗の父、初代怪盗1412号である黒羽盗一と工藤新一の父、世界的推理作家の工藤優作は双子であるというのだ。

そんなことある??

有希子も知らないなんて。

伏線や設定は後付のものが多々あるというのは青山剛昌本人が認める所だ。新一と快斗の顔が似ていることに対して盗一と優作の双子説というのはだいぶ前から囁かれていたファン考察の一つとして存在している。だがそれはありえないだろう。両者の顔が似ているのは純粋に作者が同じだからだ。例えば蘭と中森青子も顔が似ている。青山剛昌のデビュー作「ちょっとまってて」の高井豊と阿部麻巳子は新一と蘭に似ている。沖田総司など平次の髪型をした新一そのものだ。似ているキャラクターを血縁関係にしていたらきりが無い。
また、実は双子であったというのは死んだ人間が生きていたのと同等の禁忌であるはずだが、今回はその両方を犯している。赤井秀一の擬死は、緻密に練られたものであり、伏線はあらゆる方向に張り巡らされていた。だからこそ赤井復活での怒涛の回収作業に全読者、全視聴者の肉体が粟立ったものだ。
黒羽盗一はマジックの最中事故死し、それがとある組織の陰謀であると知った寺井は二代目キッドに扮することを決めた。その後、純白の衣装は快斗へと譲渡される。キッドがビッグジュエルを盗むのは父の死の真相を探るため。盗一の死に関してはそれ以上の言及は為されていない。仮に黒羽盗一が生きている前提が初期からあったとして、盗一と優作の双子設定にはこれまでの伏線などが不十分であり安易かつ非常識、それでいて品性の欠片もない悪手に他ならない。
赤井秀一の父、赤井務武もまた生存しているのだろう。だとしたら作中における死の概念そのものに懐疑的に接しなければならず、誰かの死が描かれてもどうせ生きているという元も子もない憶測が緊張感を激しく削り取ってしまう。
さらにここにきて外国人にも完璧な英語力で変装してみせる怪盗キッドが関西の方言が苦手であるというコナンとの共通点を提示してきたのもいただけない。怪盗キッドなら大阪弁と京都弁を流暢に使い分けることが可能であるはずだからだ。和葉に変装した時は一人称以外完璧だったではないか。

白馬探と対決した「青の玉座」の事件ではキッドと自分の顔立ちが似ていることをコナンが利用し、さらにはなんで顔が似てるのかと作中でネタにしていたため、二人の顔が似ているのはコナン本人の公認となった。顔立ちが似ている可能性を予測はしていたがここで100%の確認が取れた。キッドの正体などもはや些末な問題だ。なぜなら視聴者や読者、青山剛昌ファンは怪盗キッドが誰であるかを知っているのだから。
その些末さを敢えて肥大させるというのは現代の考察ブームも原因としてあるのかもしれない。実際はストーリーや設定にそれほどの論理性は不要である。なんの意味もなさない、ただの偶然だってあってもいいのだ。それを見つけるのも作品の醍醐味ではないか。全てに理由付けを行いたがる現代の風潮は、作品の楽しみ方の幅を著しく狭めてしまう。観客の作品に向き合う寛容さ、ゆとりや遊びや余裕が欠けている。それに対応しようと作家は論理づけを始める。だから作品そのものから遊びがなくなるのだ。

コナンに顔の造りを指摘されたキッドは先祖が同じなのではないかと言っていた。おそらく、いや確実に今作を意識してのことだ。
さらに、コナンはゲスト出演の怪盗キッドがその人気にあやかり準レギュラーのようなポジションに昇格した経緯がある。時計塔の事件では「まじっく快斗」を主軸に工藤新一と対決しており、優作と盗一は互いを意識し、盗一の変装の弟子に有希子とベルモットがいるなどクロスオーバー自体は古くから使われている。ただここで禁断の設定を持ち込んだのはマルチバースの流行もあるのではと邪推せずにはいられない。まず二人の関係性をなぜ有希子が知らされていないのか。その理由も不明だ。
ちなみに「青の玉座」における白馬探の立ち位置は怪盗キッドのライバルとしてだけではなく、蘭に紳士的振る舞いを見せ新一を嫉妬させるイケメン探偵的役どころだが、今作には同様の位置に福城聖が登場する。つまり白馬探を出したのも今作を意識してのことに違いない。

赤井秀一は宮野明美と組織内で恋人同士であったが、宮野明美の母エレーナは赤井の母メアリーと姉妹である。
黒羽盗一は若手女優の藤峰有希子とシャロン・ヴィンヤードの変装の師である。
工藤新一と黒羽快斗は顔が似ている。
工藤優作、黒羽盗一は双子の兄弟である。

本来点と点が繋がると気持ちがいいものだ。だがコナンの人間関係は複雑なのが全て身内に繋がってきて何とも言えない不快感、不安感が込み上げてくる。世界はこの人達だけで回っているのではないかと、一種のナルシシズムのような嫌悪感。

しかし「キッドの真実」というキャッチコピーは的確にミスリードを図る絶妙なものだと認めざるをえない。キッドとは快斗であり盗一のことだ。

冒頭、変装したキッドに対して平次は帽子を被り直しながら現れる。あれは本気の証である。かなり接吻の件を根に持っていたと見える。また平次は刀を使用する際は、相手を極力傷つけないように必ず峰で戦う。終盤の福城聖との戦いでもそうだった。しかしキッドと対峙した時はそうではなかった。おそらく平次もここで怪盗キッドを倒せるとは思っていなかったため、少しでも倒せる可能性の高い刀刃に頼ることにしたのだろう。

六本の刀の謎を解けば、そこには形勢を一変させるほどの兵器が眠るという。
福城良衛は生前斧江忠之にその破壊を託されていた。

現在の福城良衛は病気で閉じこもった生活を送っているが、居合の師範代としてかなりの腕前である。それはキッド、平次、コナンの三人を相手に圧倒し、見事逃げおおせるほどに。その姿は劉備、関羽、張飛を相手にした時の呂布を思い出させる。だが、いくら実力者だからといって、病気で長く服薬している人間があれほどの超人的な運動能力を発揮できるものだろうか。

福城聖の母は戦地での医療活動中、爆撃に巻き込まれ死亡したという。だから父の意志を継ぎ、斧江忠之の思いを成し遂げるのだと。そのセスナに取り付けられた巨大な爆弾をどこで入手したのかは不明だが、聖は函館の夜空へ飛び立った。ここで爆弾の入手経路以上の疑問が浮かぶ。母は爆撃で死亡したと言っていたが、聖自身がやろうとしていることは爆撃以外の何ものでもない。しかも兵器を憎み自身も兵器を使用する。聖の言動には矛盾があり、一貫性がない。常識的に考えれば、母の死の原因となったものを避けようとするのではないか?

恒例の次回作の予告では、吹雪く森の中に速水奨のナレーションが重なる。
つまりこれは速水奨演じる諸伏高明の登場が示唆されている。
長野県警の大和敢助と上原由衣が登場したのはアニメでは2008年風林火山の事件の時。これは2007年、山本勘助を主人公とした大河ドラマ「風林火山」が放送されていたためだ。長野県は川中島に代表されるように武田信玄と縁が深く、山本勘助はこの地で最期を向かえた。
さらに翌2009年には赤い壁事件で諸伏高明が初登場する。諸伏はその名の通り三国志蜀の軍師、諸葛亮孔明を元にしている。その由来は当時公開されていた「レッドクリフ」だと思われる。コナンの作中には度々三国志ネタが引用されるため青山剛昌は三国志が好きなのだろう。その世代だと横山光輝かNHKの人形劇の影響かもしれない。
諸伏高明は予告の中でこう言っている。
「疾き事風のごとく。私が風を吹かせてご覧に入れましょう。」
これは信濃に縁のある武田信玄と、諸伏高明の諸葛亮を巧く組み合わせたセリフだ。

諸伏高明を取り巻く人間関係はかなり複雑な相関関係が構築されている。

高明は安室の親友諸伏景光の兄で、景光が殉職した際の遺品を高明宛に送ったのは警視庁・捜査一課だが、それは元々高明宛に渡すように安室が伊達航に託したものだ。安室と高明は景光を通し面識がある。
またラムによるアマンダ・ヒューズと羽田浩司殺人事件に居合わせた黒田兵衛は元長野県警捜査一課長であり、現警視庁管理官であり、安室の上司でもある。
さらに景光が自決した現場にいたのは赤井秀一だ。

以上のことからいずれ諸伏高明が黒の組織や公安含む作品の中核に介入する可能性は否めない。ただ前回が「黒鉄の魚影」だったためその時は来年で無いことは確かだ。できればそろそろ大人しくクローズドサークルの本格ミステリーに原点回帰してほしいものだが、これはあくまでただのファンの仄かな願望に過ぎない。現時点で言えることは高明が劇場版コナンの歴史に新たな東南の風を巻き起こすということぐらいだろう。
くまちゃん

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