このレビューはネタバレを含みます
インドネシアで行われた大量殺人。歴史的にも最悪の軍部の暴走。100万人近く殺戮し、それを肯定する狂気。逆らえば共産主義と見なされ殺される恐怖による支配。そこでは歌って踊ってハイになることでしか自我を保てない。
プレマン(ヤクザ)はフリーメン。殺人も何もやりたい放題だ。彼らは革命後も自らを正当化し、制度にとらわれない自由人だと豪語する。
彼らは裁かれない。人権や国際法などない。彼らは小さな村社会の長なのだ。
この映画は証言を元に忠実に再現し、共産主義者(ただの住民)を殺し、殺される演技させる。
子供は泣き叫び、女は気を失ってしまう。当時、どんなに酷いことをしていた男たちも、それを今目の当たりにすると及び腰になり、後悔の念が押し寄せる。
当たり前だ。
こんなことをするのは人間ではない。
彼らプレマンは同じ人間の土俵にない。
ルックオブサイレンスと対になっている今映画は、インドネシアの極悪非道な歴史が、タブー中のタブーとして、しかも、反省のないまま、宙に浮いた状態で現在も尚歴史の闇としてパンドラに閉じ込められている。
はっきり言えることは、彼らがこれに向き合い、これを享受して、反省し、改善し、考え直し、罪なく殺された「共産主義者」たちに謝罪と補償を与えなければ、国家として日本やその他国家と並列して物を申せる立場は訪れない。
彼らは1965年から何を学び、何を考え、何を学習しているのか?
まるでそれがない。
最後、主導者であるプレマンの男は罪に苛まれる。だが、吐こうが何をしようがその罪は消えない。決して消えることはない。
足りないのはその意識だ。