アクト・オブ・キリングの作品情報・感想・評価・動画配信

「アクト・オブ・キリング」に投稿された感想・評価

鉄

鉄の感想・評価

4.4
戦争犯罪者に当時の殺人の様子を再現してもらうドキュメンタリー映画。

そもそもインドネシアで数百万人規模の大虐殺が起こっていた、という事実を全く知らなかったというのは自分の無知を恥じるとして。出てくる男達が自慢げに過去の殺戮を語り、未だに共産主義者に対する差別意識がほとんど消えていないということに驚いた。他にも当時の新聞社で働いてた人は「デマを捏造していた」と堂々と言うし、テレビの司会者も当たり前かのように「共産主義者は殺されて当たり前ですもんね」みたいな事を言うし、中々に信じ難い光景だった(もちろん一部の人達なんだろうけど)。

2時間観せられてこちらの価値観が色々とバグって来たところで、ようやく一人の男が自分の過去の行動の過ちに気付く訳だけど、ここまでしないと分からない人が居て、多分それでもまだ分からない人がいるということがまた恐ろしい。また複雑な気持ちになるのが、オフビートなコメディシーンもあってちょっと笑わせてくるという事。そこでズボンの色気にする?

チラッと出てきた怪人、ジャガーさんみがある。
peco

pecoの感想・評価

4.2
ー戦犯は勝者が決めるー
彼らは彼らが社会的に正しいと教わったことを心を無にして従った、また1人の被害者の様に見えた

自分の拷問シーンを孫に見せたり、自ら拷問シーンを再現したりする様子に彼らの罪の意識は全く感じられなかった
KentF

KentFの感想・評価

-
この作品の主題が「“悪の正体”とは、“悪”とは何なのか」、「人間の本当の恐ろしさとは」であるならば、その答えは“彼らではなく、私たちだ。

日本車の広告が見下ろす街で、ギャング映画や西部劇に育てられた残酷。西側の世界を随所に意図的に映り込ませ、灼熱の地獄の炎を包み隠した欺瞞の世界を炙り出す。
める

めるの感想・評価

3.9
前は流し見だったけど、今回は改めて久々、しっかり見てみた。
うーむ。これはアンワルという男のためのドキュメンタリーだ。
心境の変化と最後のシーンはどの映画よりも必見。いきなりピリッてなる。

なんて言ったらいいのか、
今の日本人からしたらこれを見たら彼らが悪にしか見えないんだけど、昔の人の価値観とか置かれている環境とかによって、これが普通の事にもなり得るし、何が正義で悪なんてものはわからなくなってきた。長い歴史で見たら俺らの感覚がおかしいのかもしれないし。

ただ、これはかなり貴重な映像ってだけは言える。
1965年の共産主義者殲滅の下インドネシアに住む華僑の人々らが皆殺しにされた、殲滅に実行したプレマンら当人に当時の拷問や殺戮ぶりを演じさせていく斬新なドキュメンタリー
ラスト、孫達にこうして完成した映画を見せ嫌悪されたのを見てようやく自分がやってきた事がどういうことか気付かされその後実行した現場に向かって嘔吐するアンワルが脳裏に焼き付く
ギャング映画の殺人シーンを実践して効率化させていったり復讐されないようしっかり子供含めて皆殺ししたのを自慢気に嬉々としてテレビで語る彼らは衝撃的
肝臓を本人の目の前で食うシーンの再現とかしばらく胸糞悪くなった
はっきり言って面白くないし、挫折しかけたけどどうにか観終えた。
エンターテインメント的には面白くないし、素人の拙い演技を見せられてシラケるシーンもたくさんあるんだけど観終える頃には感慨深く思う、なんとも表現が難しいドキュメンタリー映画。

インドネシアで実際におこなわれた100万人を越える大虐殺。
その当事者たちを上手いこと煽て、気分よくさせてから再現してもらうという取り組み。

年寄りから盛り盛りの武勇伝を聞かされているときのような「ふーん」「で?」みたいな感覚をしばらく覚える。
でも最初はノリノリだった当事者の心情に変化が…?みたいな流れ。

新しい手法だと思うし、観終えると「すごいもん観た」と思うけれど、観終えるまでがわりとしんどい。
AKIRA

AKIRAの感想・評価

-
「1965年インドネシア政府が軍に権力を奪われた。軍の独裁に逆らう者は"共産主義者"として告発される事になった。組合員・小作農・知識人・華僑。西側諸国の支援のもと一年足らずで100万人を超す"共産主義者"が殺された。実行者はプレマンと呼ばれるヤクザ・民兵集団。以来、彼らは権力の座に就き敵対者を迫害してきた。」(前提知識として冒頭にインサートされた文そのまま)
敵対する人々をまとめて共産主義者というラベリングを貼り民間団体により行った大規模虐殺。インドネシアにて軍事クーデター(9月30日事件)があったのは知っていたが、100万人も亡くなった事件であったとは初めて知った。自分の無知さを思い知った。西側諸国が支援していたという文字も気になった。
本作で驚くのは、加害者が殺人・強姦・拷問の過去を楽しそうに笑いながら語っている事だ(その上、罰があるどころかむしろ彼らは現在成功した人々に見える)。共同体の方針ならば自責の念に駆られる事はないのかと疑問に思った。事件加害者本人にドキュメンタリー映画撮影という名目で役者になってもらい被害者感情を想像させようという高度な試みを行う作品は他に類を見ないと思う。そして何より残虐行為を働いた彼らに密着しようとした撮影者の勇敢さに拍手だ。
冒頭のヴォルテールの引用「殺人は許されない。犯した者は罰せられる。鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を除いて。」が見事に内容を言い表していた。個人対個人の殺人でなく、共同体の方針という大義名分を得たなら虐殺しても許されるという恐ろしい現実を炙り出していた(メインの方が1000人以上殺しているというセリフもあった)。
くりふ

くりふの感想・評価

3.5
【肥溜めの中で生き、臭いを忘れ、映画でそれに気づく】

かなり期待していたものの、実際体験してみると…段々冷めてきてしまった。

本作を生んでしまったアイデアと実行力は凄いし、貴重な記録でどうあれ、より多くみられるべき作品だとも思う。

しかし結局「で、どうすれば次のアンワルを生み出さずに済むの?」が見えてこない。結果でなく原因が知りたい。これは映画の可能性と限界、両端を感じる体験となりました。

誰の中にもアンワルがいる、ということは既にわかっていること。が、同じ条件下でもアンワルに化ける人化けない人が出てくるわけで、その違いは何なのか?アンワルが殺人に手を染めたトリガーは具体的に何で、どうして「彼でないと」いけなかったのか?

…そのあたり、「原因は何?」が見えてこないと対処のしようもなく、これからもアンワルが生まれることは止められない。

次は自分や周囲の人が殺されるかもしれない。或いは油断していると、自分がアンワル化する可能性も?

原因がわかればこんなに苦労しない、ということもわかります(苦笑)。が、そうなると、こういう映画をつくる意義は何だろう?と考えてしまうのですね。

パンフで読みましたが確かに、本作完成後にインドネシア政府が虐殺を認めたり、登場したマツコ・デラックス・ヘルマン(笑)がパンチャシラ青年団を辞め、唯一公式にメダン市で本作を上映したり…という変化はあるようです。

が、この映画の目的は、虐殺を知らしめるだけではないはずです。映画で悪の病根を見つける、なんてことはやっぱり夢物語か?などと考えてしまった。

これは続篇をみたいですね。続というより深篇、というようなものを。本作をみてこわかったー、とか感じても、そのうち忘れるしね。

作中の描写で気になったのは、アンワルのその後です。吐き気はやがておさまるし、悪夢は目覚めれば逃げられる。アンワルはあの後、何か行動を起こしたんだろうか?

パンフにあった「…自責の念に駆られることもあったが、カンプン・コランの虐殺を再現したシーンを含め、ほとんどの場合、彼らは大笑いしながら映像を観ていた」という記述はどう受け取ればいいのだろう。

ところで、『野生のエルザ』の主題歌「Born Free」に乗って、アンワルズを讃えるイメージシーンは爆苦笑ものでしたが、本人たちはやっぱり歌詞の意味、わかっていないのでしょうねえ。

<2014.5.13記>
虐殺をした本人達が本人役で演じるビックリのドキュメンタリー。
1965年から66年にインドネシアで起きた大量虐殺。政府軍の共産主義者、撲殺の為、青年団のアンワル·コンゴは、指導者となり1000人以上殺している。アンワル達に取材をすると当時の虐殺の様子を嬉々として再現して見せたのをきっかけに本人達に『当時のの虐殺を演じてみては?』と提案し、出来上がった作品。
これは、言葉を失います。しかも虐殺を実際行った当事者達は、初め自慢げに話すんです。人間の恐ろしさを露呈した作品でした。
人とは思えない行動に唖然とします。が、昔、行った虐殺を本人達が本人役で演じるって、凄いです。普通なら断りますよね。彼らは、面白がる様に撮影を始めます。終盤、心の変化も見られますが、想像以上に胸くそでした。だけど、前代未聞の作品だとも思います。こんなに恐ろしい事が起きていたのは、知りませんでした。




ネタバレ↓



自分達がどの様に殺したか、意気揚々と説明する姿が異様です。血があまり出ない様に針金を首に巻き引っ張って殺した。とか血の事務所と言う場所があって、そこで大量に殺したとか。華僑を潰せと言う命令に自負の彼女の父親をレンガで殴ったとか。悪びれる事なく楽しんでいる様に話す。映画の中で、村を襲い村ごと焼き払うシーンでは、演じていた子供や女性は演技なのにあまりの怖さに泣いたり気絶したりするくらいリアルだった。出来上がった映画を観て、自分のして来た事に自分に報いが来るのでは?と恐れ、吐き気を催していたけれど、今さら何なんだか💢悪魔に魂を売ったのだから、代償は払わなければ💢
また、インドネシア政府にも驚かされた。政府が作った、共産主義者たちが無残に殺される映画を小学生が観させられていた。血みどろの映画で幼い子供が観るにはトラウマ級。映画になったアンワル達も罪に問われていない。ほんの断片だけど、インドネシア、怖い。
Morizo

Morizoの感想・評価

4.0
この映画を一言で言い表すと「グロテスク」。
映像も分かりやすくグロテスクだし、社会や人の闇の部分をこれでもかと突きつけてくる様もグロテスク。

その衝撃により観るものに虐殺行為に対する嫌悪を呼び起こし、50年前の出来事を告発する映画とも言える。

また、人の行為の善悪は時と場所により相対化されるが、相対化されない・普遍的な感性が人間の中にある、ということを訴えている映画とも言える。

そんなことを思いつつ観進めるが、終盤に行くにつれ、この映画の撮影自体がグロテスクだと感じられるようになった。

それは、加害者と被害者の、昇華させることのできないトラウマをえぐりだす行為であった。

映画では最後に、とってつけ感に満ちた天国的なシーンで無理やり昇華された形になっている。
だが、現実の演者は救われないままだ。

ドキュメンタリー制作側は、こうなることは分かっていたやったはず。
そのことが、演者の表情を見ていると、グロテスクなまでに残酷な行為に思えてきた。

制作側は、自らの属する社会通俗的な"善"を紋所を携え、映画化・ドキュメンタリー化という行為を通して、罪人を裁いているかのように見える。
罪を自覚させる場所に追い込んでゆく、一見ソフトな方法によって。

しかし、それは、まさにインドネシアで虐殺者のやったことと同じではないのか。

「共産主義者には残虐行為をしてもよい」と「残虐行為者は精神的に追い詰めてもよい」は限りなく相似だと感じた。
(悪いことをした人やその仲間は報復されてもしょうがないというような考え方は我々が憎んでいるテロの論理そのものではないか?)

もしそのことに製作者が無自覚で、観た者も無自覚であったら、それが一番怖い…などと考えはじめてしまったことで、映画の後味がよくなくなってしまった。

でも、後味の悪さは映画の悪さではない。
観る価値のある映画だと思う。
こんな映画は、もしかしたら生まれなかったほうがよかったのかもしれないが、できてしまったからには観ておいたほうがよい映画だと思う。
>|

あなたにおすすめの記事