わたがし

トゥモローランドのわたがしのレビュー・感想・評価

トゥモローランド(2015年製作の映画)
5.0
 絶望のど真ん中でしょぼくれている自分に優しく希望の手を差し伸べてくれる、言葉通りに「最高」な映画だった。
 大学生になって社会情勢や歴史などを勉強すればするほど「この世はもう駄目だ」と思っていた自分。それでも「世界を変えてやろう」と思った矢先にイスラム国の事件があったり、憲法解釈なんやかんやで戦争を匂わせるニュースが続いたり…「本当にこの世の中で希望を持つ意味なんかあるのか?」と思う自分。そんな自分に上っ面の適当な希望じゃなくて、ちゃんと身に迫る本物の「希望」を与えてくれた映画(というより体験)、それが僕の『トゥモローランド』だ。
 大人に相手にされず評価もされない少年が、綺麗な少女に誘われて行った未来の世界…その世界の美しさ…(世界そのものの美しさよりもブラッド・バード監督の空間の切り取り方の美しさにやられる)。
 アニメーション的な演出をそのまま実写に持ち込んだブラッド・バードな映像世界には逆説的なリアルを感じ(ゴーストプロトコルもそうだった)、スクリーンの向こう側の未来の世界は確かに存在すると確信し、僕らの未来はこんなにも美しくて希望に満ちていたんだ、と感動して涙が止まらなくなり「頑張って未来まで生きよう」と思った。
 しかし、そんな未来は…というお話なのだけれど、何を言ってもネタバレになるから具体的な内容についてはネタバレなし主義を掲げている自分には何も書けない。ひとつ書くとしたらやっぱり「希望は確実にある」みたいなことだろうけど、観た人にしかわからないしなあ。
 ただ今回は珍しくブラッド・バード監督のコントロールが狂っているというか、エンタメとテーマ主張のバランスが崩壊している場面がちらほらあったのが楽しかった。基本的には素晴らし美しくて到底真似できないようなショットの連続なのだけれど、終盤あたりのひたすら喋るだけの場面とか「バード監督でもこんな演出するんだなあ」と偉そうに親近感を覚えさせて頂いた。
 あとヒロインの女の子がとってもかわいくて、サブヒロインの女の子はもっともっとかわいくて、こんな別種の性格的かわいさを同時に描けるバード監督の演出力にあらためて感服させられ、ブラッド・バード監督最高、ブラッド・バード監督、ブラッド・バード監督のことばかりが頭を巡り、ジョージ・クルーニーのことは一切覚えていない。
 書いてみると思った以上に感想の難しい映画だったので、最後は希望に満ちた虚言を吐き散らかして終わる。
 僕は絶対にこの世界を変えてみせる。必ず希望と夢で溢れた最高の世界に変えてみせる。絶望なんて、戦争なんて、資源枯渇なんて、全部思い込みの大嘘だ。ウソツキめ、今に見てろ!!僕が世界を変えてやる!!お前が「できない」と言ったことを片っ端から成功させてやる!!僕は世界を変えるために生まれてきたんだ!!
 本当に偉大な映画なので、こんなことしか書けない自分が情けない。

【2回目】
 最高と言いながらもモヤモヤがあったのは事実で、意味の汲み取れない部分は自分で脳内補完をしたりしていたのだけれど、今回の2回目で全ての疑問はパァっと一気に晴れ渡った。
 そして僕は確信する。トゥモローランドは確実に存在すると。実在の世界であると。信じない道だってあるけれど、そんな道ばかり今まで進んできたけれど、今回ばかりは進まない。僕は明るくて希望に満ちた道を選んで進む。自分の足できちんと歩く。夢を追いかけるんだ。最高の世界を創るために。美しい地球を創るために。
 1回目では把握し切れなかったブラッド・バード監督の手際の良いスリムでなめらかな映像演出にしっかりと酔いしれ、目に焼き付け、映画の幸せを感じながら「僕はもう映画を作っていくことでしか幸せを得られないなあ」と後戻りのできない気持ちになり、間違いなく大学に入学して以降一番のカタルシスを身体に感じた。
 大人達はいつだって絶望ばかり説き、それを真に受ける僕たち。そんなふざけた儀式めいた二者間の関係を今こそ打破、破壊、消滅させる時なんだ、と思った。世界を救うために僕たちはこの世に産み落とされたんだ。絶望して皮肉を飛ばすために産まれてきたんじゃないんだ。
 くだらない若者論を偉そうに語る大人達、彼らが死んだ時、残される僕らの目の前に広がる世界は絶望なのか、希望なのか。たとえ絶望だとしても、それは大人達のせいではなく、大人達の言うことを信じてきた僕たちのせいだ。残された僕たちが絶望しないためにも、今の僕たちに必要なのは絶望ではなく希望、希望なんだ!!ブラッド・バード監督、陳腐な言葉でごめんなさい!!愛してる!!
わたがし

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