怨念大納言

リトルプリンス 星の王子さまと私の怨念大納言のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

まず白状すべきは、原作の「星の王子様」は私の人生に大きな指針と影響を与えた傑作であって、ただ「忠実にアニメ化」しさえすれば★4.0以上は確約されるのです。

ただ、本作は純粋な映像化ではなく、原作の後日談。
原作は「回想」という形で語られるけど、回想は紙と粘土のストップモーション、他はCGという凝った技法を使っている。

原作の始まりでもある「帽子と蛇の話」の後、場面が変わって主人公登場。
主人公は小学校への受験を控える女の子で、母親は規律と計画によって女の子を幸福にしようとする。

それはもうハイスペックガールで、幼稚園児にしてベクトルの問題をすらすら解くし、隣人の奇行には保険会社と警察への連絡、証拠写真の確保までばっちり行う。

前述の受験は母親のヤマが外れて失敗し、「校区内に引っ越す」という荒業で有名小学校へ進学する。
※「あなたはこの学校にふさわしいか」が例年定番の質問だったが、その年は「どんな大人になりたいですか」だった

「隣に奇人が住んでいる」という理由で安売りされていたのだけど、この怪老人こそが原作における「私」。
サハラ砂漠で不時着し、「王子様」と出会った原作の飛行機乗りである。

修理中の飛行機のプロペラを吹き飛ばし、隣家の壁を破壊するというのが前述の奇行であるが、それがきっかけで女の子に「星の王子様」の物語を手紙として少しずつ送るようになり、仲良くなる。

最初は話も噛み合わない。
飛行機乗りとして世界中で集めたコレクションを見た感想も「火事になりそうな家」だし、小説で興味を持ったのも羊の絵ではなく「王子様の登場が科学的にあり得るか」だった。
※この「羊の絵」の話、結構駆け足で原作未視聴の人は分からないんじゃないだろうか

徐徐に、老人から女の子へ、王子様の話が語られてゆく。 王子様はバオバブから小惑星を守り、そしてたった一人だった小惑星に「薔薇」が生まれる。
その美しさから王子様は薔薇を愛し、バラに尽くすが、薔薇は正しい愛情の伝え方を知らず、王子様も受け取り方を知らない。

それから、薔薇と喧嘩をして星を飛び出した王子様の惑星巡り。
「王様(権力者)」「地理学者」「実業家」「酔っぱらい」「自惚れ屋」そして「街灯を灯す男」が原作の星星で出会った人々だけと、本作で「酔っぱらい」と「街灯を灯す男」はなし。
これはなー…。

この時には女の子と怪老人はかなり仲良くなっていて、「大人って変だね!」なんて話をするんだけど、原作に置ける「7番目の星(地球)には、111人の王様、7000人の地理学者、90万人の実業家、750万人の酔っぱらい、3億1100万人の自惚れ屋がおり、電気が出来る前は46万2511人の街灯を灯す人がいた」という皮肉が炸裂しない。
これではただの「王子様の冒険」であり「寓話」ではない。
ただこれは、もしかすると子供が観賞する事を前提に、現代にそぐわない上の人数非と分類を考慮してかも知れない。
後半のオリジナル展開がこれの補足になってると言えばなってるし。

星の王子様の原作には多くの啓示が存在して、その内の2つ、「大切な事は目に見えない」「大人は大切な事を見失う」の2点を特別に掘り下げた映画かなと思う。
資本主義の加速が、大人の目を80年前よりも曇らせている事への警鐘もあるかも。

老人の話は蛇、狐、バラ園と来て、原作のラスト、「王子様の別れ」まで老人が語った所で、女の子は怒ってしまう。
あのラストに納得がいかなかったのは、現代的な感覚では当たり前かも知れない。

「全ての星に王子様がいると思えば、全ての星が笑って見える」この偉大な幸福は、確かに都合のいい妄想にも、開き直りにも見える。
計画通りの人生、仕事ばかりで時間の共有をしてくれない母親、自分もその大人に仲間入りする事の不安。嫌気がさした少女は、「救ってくれる王子様」の実存を信じたかったろうし、聡明な彼女は、王子様の不明確さを老人の死の予兆と結び付けたかもしれない。

入学式の前日、「無免許パンケーキ事件」及び前述の喧嘩によって疎遠になっていた老人が救急車で搬送されている所を目撃する。

その後は完全にオリジナルで、「自惚れ屋」「学者」「王様」「実業家」が住む「大人のいない星」で、星の王子様を探してゆく。

これは、最初に女の子が用意していなかった「どんな大人になりたいか」の解を見つける話でもある。
どんな大人になりたくて、どんな大人になりたくないのか。
ここには少しの押し付けがましさを感じなくもないけど(金儲け、労働を悪者にし過ぎるような)、個人的には許容範囲。

なんと大人になり、全てを忘れた王子様と小惑星に帰るのだかど、薔薇は枯れたいる。
そこで、王子様は夕日を見る。
砂塵越しの夕日は、まるで薔薇に見える。
これは難しい所だけど、原作で狐の言う「特別になった物には責任がある」面で言うとちょっと疑問。
「大切なものは目に見えない」の方を強調した形で、映画としては整合性が取れてるのかな。

星から帰った後のオリジナル展開で非常に良かったのは「語り継ぐ」という要素の強調。
老人は死の前に少女と出会う事で、「目に見えない大切な事」を少女に受け継ぐ。少女は老人の手紙を本にする。学校でも、物語を語る。

これは正に、原作の星の王子様がそうなのだ。
翻訳数は聖書に継ぐ世界2位で、推定一億冊以上。80年たった今も愛され、人々に大切な事を教えている。
サン=テグジュペリがこの世からいなくなっても、「大切な事」だけは語り継がれてゆく。

原作の啓示は多数あって、どれも答えは示されない。
だからこそ、読む人によって、読む時代によって、読む時の心情によって、物語が姿を変えるから世界中で愛される。

これを子供に分かるように、けれど説教臭くなく映像化するのは至難の技かと思う。本作は、少なくとも原作を読みたくなるという点で素晴らしかった。

これをきっかけで、原作をよんでくれる人が増えればいいなと思う。
怨念大納言

怨念大納言