怨念大納言

式日-SHIKI-JITSU-の怨念大納言のネタバレレビュー・内容・結末

式日-SHIKI-JITSU-(2000年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

赤い服、白塗り、田舎、母の偏愛、狂ったベル、ナレーターの語り、メタ視点。
現実と虚構、過去の改変というテーマも含めて、田園に死すの影響を強く感じる。
(雛人形もどきまで出てくるので、意図的なものだろうと思う)
田園に死すっぽさはシンエヴァンゲリオンでも感じたけど、本作の方が顕著。

創作に行き詰まった「監督」と、奇妙な儀式を繰り返す「彼女」の物語。

辛すぎる現実から逃れる為に、嘘を重ねる「彼女」。
「誕生日の前日」を毎日毎日繰り返す。
彼女にとっては、誕生日よりも誕生日前日の方が楽しいのだろう。
もしかしたら、楽しい誕生日を想像出来るような経験がないのかも知れない。
それとも、単に監督と会う為の、若しくは特別扱いして貰う為の口実だろうか。

廃墟のビルに「ひみつの部屋」をいくつも作って暮らす彼女。
好きなものしかないという彼女の部屋は、決して傷付きたくないという彼女の臆病を感じる。

真っ白な部屋に真っ白な机がある。
机の四隅には4つの真っ赤な電話が置かれている。
その電話からは彼女の母親からの留守電が再生されているのだけど、母親は明らかに精神を病んでおり、彼女を罵倒し続けている。
「私の言う事を聞かないとお姉ちゃんみたいになるよ(彼女には姉がいるらしい)」「お前もお姉ちゃんもあの男の血を引いている(離婚したらしい)」あたりの台詞と、あとはとにかく罵詈雑言。途中、突然優しくなるのも不気味。
彼女は、この電話を気にも留めない。

眠る事すら怖がるので、睡眠は取らない。

彼女は線路に横たわる儀式と、屋上で「美しい世界と汚い自分を比較して、死なないか確かめる」儀式を繰り返す。

彼女は監督に、何が好きで何が嫌いかを尋ねる。自分は何が好きなのかを伝える。

セックスは、行った瞬間に「ただの男女」になってしまうから嫌い。
雨は、うかれてる奴らがやっと俯くから好き。
線路について、監督は非人間的で、道を選ばなくても進んで行けるから好きだという。
彼女は、2本の軌条は決して交わらないのに、2本で1つなのが好きだという。

ある時、彼女は「幸せにならなければ」と唱えながら狂う。
儀式を行わなくなり(今儀式をすれば死ぬと分かっていたからだろうか。だとすれば、何てご都合主義の悲しい儀式か。)、代わりに猫を拾って来る。
ジャムと名付けたその猫がいなくなり、彼女はまた狂う。

発狂した彼女を監督が抱き締めると、彼女は監督の鼓動を聞いて安心する。

それから、彼女の儀式は再開される。
屋上の儀式で飛び降り自殺から彼女を支えるのは、手すりから監督の手に代わる。

彼女は鼓動が好きだという。
鼓動を聞くと安心するらしく、永らく続いた不眠症が解消され、眠れるようになったという。
幼少期、親の鼓動を聞かずに育ったのだろう。

彼女と監督は道路に横たわる。
線路ではなく道路に。
白線を挟んで、彼女と監督は左右に。
白線の矢印は同じ方向を向いている。
自ら道を選ぶ勇気が出来たのだろうか。

多少前向きになったとて、「明日は何の日か分かる?」という彼女の問いかけは変わらない。
毎日毎日毎日毎日、呪いのように唱えてくる。

延々と昨日を繰り返す今日に、監督はついに飽きて出て行ってしまう。

彼女は「捨てられる」と狼狽する。
例の母親のテープを聞く。
地元の方言(広島?岡山?)で、今度は反論する。
母親への呪詛をひとしきり吐いた後、「なんであの時優しくした?」と泣く。

あぁ、そうか。
彼女が求めていたのは、恋人でも夫でも父親でも、まして母親でもない。
「誕生日前日に優しくしてくれた母親」だ。
だから、毎日毎日「明日は私の誕生日」だと嘘を付くのだ。
母親に優しくされたくて仕方がないのだ。
(水を張ったバスタブで丸まるシーンがあるのだけど、母親への執着の現れだろう)

監督は帰って来てしまう。
(これ、アニメの後映画で帰って来た庵野監督みたいだな)
彼女の日々は、欺瞞と忘却の日常に戻ってしまう。
嫌いなものを全て排除して、好きなものでだけ構築する。
それが実現出来る限界の広さが、彼女にとって「廃墟のビル」だったのだろう。
だからそこに引きこもる。

そして、映画もそうだという。
嫌な事を忘却し、都合のいい欺瞞を構築する狭い狭い箱。
これを、映画に人生を捧げた男が言うのだ。

欺瞞と日常の日々で、彼女は依存先を監督に変えた。もう、どうしようもなく監督に依存してゆく。
嫌われるのが怖い。
監督のうちの、自身の知り得ない部分が怖くて仕方がない。

結局、彼女のそれは依存であって愛ではない。
監督が同窓会に行った事で激昂し、何故か下手くそなパンクロックを屋上で披露(ここはホントに何故だかよく分からん)。
監督が度々電話をしていた相手が女性であった事を知り、また監督が彼女との生活の中で書き上げていた映画の脚本を読んで、「役割だから一緒にいる」と思ってしまう。
かつての父も、姉も、母も、役割を放棄して彼女を捨てたから。

翌日、あろうことか彼女は「彼女の姉」として監督の前に現れる。
彼女の度を超した臆病は、過去を偽るだけでは救われず、ついに自分でいる事を放棄した。

そこで、彼女は本当の過去を語る。
父親は離婚して、彼女の誕生日に再婚相手と火事で死ぬ。
彼女は、母親からいつも姉と比べられて、愛されずに育ったらしい。
(そう思うと、姉になるというのも、「母親(≒監督)から愛されたい」という願望からだろうか)
誕生日を迎えられないのは、大切な人が死んでしまう恐怖も原因だったのね。

姉に成りきった彼女は、会いたい人がいると言って監督を連れてゆく。
こいつは、監督失踪後に、ちょっとだけ登場していた謎のアフロ。ジミヘンの出来損ないみたいな男。あぁ、パンクロックはこいつの影響か。
口論から推察するしかないから微妙なのだけど、このジミヘン擬きは姉の元カレ。で、このジミヘン擬きは姉の死語彼女を口説いたらしい。
で、案の定あり得ない依存をされて喧嘩別れしたと。

口論の後、姉から彼女に戻った彼女は、例の雛人形みたいな祭壇を燃やしてしまう。

そして、母親から電話がかかって来る。
いや、電話はかかり続けていたのだけど、彼女はそれをなかった事にしていたし、母親を死んだ事にもしていた。

監督がそれを伝えに行った時、彼女は「幸せになれ」と唱えながら、線路に石を積んでいた。
まるで塞の河原。いくら線路に石を積んでも、何処へも進めはしない。

彼女は、母親に会えという監督にさえ「いなくなれ」と言う。
散々依存して、傷付きそうになったら拒絶する。
エヴァンゲリオンの言葉を借りるなら、「逃げちゃダメだ」なのよ。本当に。

「いなくなれ」と言ったのにいなくならない監督。
監督は、「好きだ」と言ってくれる。
そして、「帰るぞ」。

役割ではなく、心から自分を認めてくれる人が、初めて現れた。

そこで、彼女の独白が始まる。
母親は、父親に毎日「いなくなれ」と言っていたらしい。
呪いのように毎日毎日。
そして、その呪いが成就してから、母親は狂った。

太宰治、人間失格の一節、
【弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。】

まさにその通りの事を、母親も、彼女もしてしまっている。
寺山修司と同じく、太宰治も青森出身。
何か、土地の力もあるのかな。

彼女は、決して自分は「いなくなれ」と言われないように努めたけど、母親は彼女に「いなくなれ」と言った。彼女の誕生日に。
思えば、母親は自分の大切なものに「いなくなれ」と言う臆病者なのだけど、彼女に伝わる訳がない。
言った母親を憎み、言われなかった姉には嫉妬した。

彼女が大切にしている赤い靴と傘は、母親が初めて買ってくれたものらしい。
姉のおさがりでない唯一の持ち物で、靴は母親とお揃いだった。
その靴を、母親は古くなったからと捨てたらしい。
別に当たり前の行動だろうが、彼女はそうは思わない。いつか自分も捨てられると思う。

「一人は怖い。でもお母さんも怖い。だから、いなくなれって呪いをかけた」

まさに、幸福を恐れる弱虫の行動。

しかし、呪いは成就しない。
母親はいなくならない。
彼女の呪いが成就するのは誕生日だから、いつも誕生日前日でないとならないと考えたらしい。
(色々考えてたけど、誕生日前日宣言の理由はコレだったのね)

いつまでもいなくならない母親を、頭の中で何度も何度も何度も何度も殺した。
それでも死なないので、自分がいなくなる決心をして、毎日違う自分を演じた。
そして、彼女は明日母親と会う。

ついに当日、母親と再開する。
どんなモンスターが出てくるのかと思ったら、大竹しのぶでビビる。
超マトモそう。

話し合いが始まる。
姉が死んだ事も彼女の妄想であったらしい。
母親は彼女とまた暮らしたいらしいが、彼女はそれを拒絶する。
「私の寂しさを無視しておいて、自分が寂しいと私を呼ぶのか」、と。
この親子にあるのは、絶望的なハリネズミのジレンマ。
寂しくて寂しくて、死んでしまいそうな程辛いのに、誰かと関わるのが怖くて仕方がない。
臆病者故に誰よりも長い針を持ち、臆病者故に寂しさに耐えられないハリネズミ。

ラスト、彼女は現実に帰って来る。
監督と現実の世界を生きる事を決意する。
永遠に続くはずだった誕生日前日から抜け出して、大好きな人と誕生日を祝える。
式日は、あの奇怪な儀式の事ではなく、やっと現実に訪れた彼女の誕生日の事だったのか。

庵野監督の内面が色濃く出た映画であろうと推察される。
本作で彼女、シンエヴァンゲリオンでシンジとゲンドウが救われて、監督の心も晴れただろうか。
怨念大納言

怨念大納言