このレビューはネタバレを含みます
サム・ペキンパーの西部劇。黒澤清の最高傑作「人間合格」の元ネタ。
砂漠の流れ者ケーブルは2人のならず者に騙されて水を失い、四日間砂漠の荒野を彷徨う。神の思し召しか、倒れた荒地に水を見つける。ケーブルはそこに小屋を作り、町と町の中継地点で馬車のオアシスとなり、商いを初める。ケーブルはそこで自分を騙したならず者に復讐する為、待ち続ける。
町での土地の権利や、銀行からお金を借りる話。矢継ぎ早にヒロインの娼婦ヒルディと揉めて町を無茶苦茶にして逃げる話(胸のカットアップ)。それからインチキ牧師が女性を見ると直ぐに胸を触るヘンタイぶりをコメディアン風に撮る演出。全てがバカバカしくて、かつ緩急が完璧。故に下品でないのが素晴らしい。
中盤の蛇は伏線。ヒルディは一緒にサンフランシスコに行きたいとケーブルを説得するも、ケーブルは残る。
ヘンタイ牧師の語りが(なぜか)しみる
「人生の中で自分を変える女は必ず現れる」
そして三年半が過ぎてついにケーブルを騙した2人のならず者がやってくる。墓穴を掘るならず者。蛇作戦。銃を持った者を撃つ。復讐は果たされた。
そこに時代の変わり目、自動車がやってくる。
その瞬間、ケーブルはオアシスを出る決心をする。
自動車の主はサンフランシスコから来たヒルディであった。
「あなたの準備は整った?」
「ああ、ここを出るよ」
ヘンタイ牧師もバイクでケーブルを尋ねてくる。
「ダサい乗り物だな」→いつの時代も、新時代をけなす旧世代(プライド故)
自動車に轢かれそうになるならず者を助けて轢かれるケーブル。
冗談半分でベッドの上で葬儀を取り行う一行。
何もない砂漠の荒野の真ん中で、そこには人間の全てがあった。
良き人でも悪しき人でもなく、ただ人間くさい男ケーブル。
ケーブルの前をあらゆるものが通り過ぎていく。そしてケーブルも
また人間として我々の前を通り過ぎていく。
驚くほどシンプルで、エンタメとしての演出が研ぎ澄まされ、そして
深い経験と洞察に満ちた人間ドラマの傑作