圧倒的な映画を観せられてしばらくぐうの音も出なかった。
私は本物の中世を知らないが、少なくともこの映画には、これが本物の中世だと思わせるだけの迫力、凄みがある。真正面から殴られてしまったので仕方がない。
スクリーンの中にあったのは現代人が想像する王と騎士の物語の舞台としてではなく、野蛮で、蒙昧で、厳かで、薄汚い中世ヨーロッパだ。その世界に投げ込まれる感覚があった。
なお、他のレビューを読み事前にあらすじと登場人物の把握をしておくことがすすめられていたので、事前にパンフレットを購入し予習しておいた。結果としては大正解。もしもこれから観る場合、こちらをおすすめする。
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キリスト教周りの映像の、畏れを感じさせるほどの凄まじい美しさ。特に冒頭の聖なる幻のシーンや、尼僧が一斉に振り返るシーンは、本来見てはいけない何かを目撃してしまったような感覚になり思わず目を背けたくなった。
全体的に血腥く不潔な世界の中で、明らかに修道院だけが異質な輝きを放っている。その輝きだけで、キリスト教者ではない自分にもその神性を納得させる。
昔、美術館で文字の読めない農民のために描かれた巨大な宗教画を見たことがあるが、その時も似た感覚を覚えたのを思い出した。理屈ではなく、説得でもない。ただ存在するだけでこちらが頭を垂れるより仕方がないと思わされるような物言わぬ迫力。これぞ宗教。これでこそキリスト教。
だからこそ、その全てを打ち破る最後のマルケータの選択は衝撃的であり、爽快でもあった。55年前の映画ながら、不条理のなかで生きる女性の強さの描き方は現代にも通じるものがあるのではなかろうか。
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中世の世界の力関係や生活の描き方が面白い。
騎士という単語を聞くと想像するのは白馬に跨り金属の甲冑に身を包んだ英雄の姿であろう。しかし、この映画に出てくる騎士は、領主でありながら強盗・殺人を働く、ボロを纏った盗賊騎士だ。
王という存在も物語ではお馴染みだが、この映画では一度も姿を現さず、軍を差し向ける令状の中にしか確認できない。それがかえって王という人物に凄みを与える。そういえばこの時代の王なんてものは、一般人とはそもそも住む世界の違う圧倒的な権力者であったと、やっと思い出す。砦を囲んだ王の軍が吹き鳴らすラッパの絶望感。弓や投槍という武器の持つ原始的な恐ろしさ。
狼も怖いし森も怖い。食べ物はまずそう。服は汚い。出てくる人間は信用ならず、欲深く、無慈悲な上に盲信的な教徒。そのような状況下で繰り広げられる生存闘争には一見の価値あり。資料としても面白いのではないか。
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とにかく映像が美しいので終始食い入るように観てしまった。聖歌風の音楽も映画と自分の境界線を曖昧にするのに一役買っており、素晴らしいの一言。
今まで「映像体験」という言葉にピンと来たことがなかったが、この映画をスクリーンで観ることはまさしく映像体験と呼ぶに相応しい。
ストーリーは別段珍しくないが、そんなことは全くどうでもいいと感じるほどのディテールと美しさがあった。結局自分は、映画におけるストーリーにそれほどの重きをおいていないのかもしれない。あとはただ、見たときにどうかという点のほうが重要だと思っている節がある。その点では、この映画は文句なしの満点である。